【生と死、出会いと別れ、その間にあるもの】
※Bunkamuraル・シネマ ワーナー・ブラザース創立100周年記念上映 35ミリで蘇るワーナー・フィルムコレクション 。
“I’m flying.”
そう、ガーブはもともと空を飛びたかったのだ。もしかしたら、これをもって伏線を回収したと云う人もいるかもしれない。
ビートルズの「When I'm 64」がテーマ曲の映画「ガープの世界」は、原作もとても奥深い好きな作品だ。
主演のロビン・ウィリアムズは若々しく、早逝する役柄だが、自身も64歳を待たずに63歳で亡くなっている。うつ病を患っていたらしい。
ジョン・アーヴィングの半自伝的小説とされる原作「ガープの世界」は確かに傑作だけれども、映画は、登場人物を僕の想像を超えてユニークに描いているし、悲劇的なことはたくさん起きるけれども、どこか皆とても人間らしく、更に滑稽で、ストーリーを通して希望のようなものを感じないではいられない。
なぜだろうか。
この作品は、1960年代から1970年代にかけてのアメリカの状況をとてもよく表している。それも盛りだくさんだ。
ベトナム戦争
女性解放運動とフェミニズム
相対するパターナリズム
暴力(暗殺)
児童虐待(レイプ)
無政府主義やヒッピー文化
カルト宗教
シリアルキラー
ゲイ/同性愛
差別
承認欲求
ストーキング
不倫や夫婦関係の破綻(夫婦関係の変質)
影響される子供
こうした様々なものがプロット、メタファーとして物語が展開する。
舌を切り落とした人々は、たとえ声をあげても取り上げられることない多くの人々のメタファーじゃないのかなんて思ったりもした。
生と死は、出会いと別れでもある。
その間にあるのは、暴力も含めた不条理なことだらけかもしれない。
小説「ガープの世界」では、マルクス・アウレリウスの「自省録」が引用されるが、その中の一文は、鴨長明「方丈記」の序文に似ている。
ガープが小説家を目指すにあたって古書店で購入した「自省録」の一文がこれだ。
「その生命の時間は一瞬に過ぎず、その絶えざる流れ、その感覚はほのかな灯のろうそく、その肉体は地獄の餌食、その魂は鎮まることなき渦巻にすぎず、その運命は暗く、その名声は定めない。これを要するに、すべて肉体に属するものは行く川の流れのごとく、すべて魂に属するものは夢と蒸気のごとし」
そして、鴨長明の方丈記の序盤がこれ。
「ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし 世の中にある人とすみかと またかくのごとし(後略)」
方丈記は無常を端的に表していると思うが、自省録は生命や意識、肉体、名声と云ったものへの執着も意味がないとし、やはり無常観を表現しているような気がする。
映画「ガープの世界」にマルクス・アウレリウスの引用はない。
しかし、おそらく、これを映画自体で表現しようとしたのではないのか。
そして、その中にあっても、人は自由で、愛が溢れた人生を送ることが出来るのではないのかと示唆しているように思える。
僕たち現在の世界。
暴力や分断。
SNSに溢れる誹謗中傷や暴力的な言葉、ナラティブを考えると、世界は成長していないように思えて暗澹たる気持ちにもなる。
しかし、その中でも人は自由で、愛に溢れた本来の人間らしい人生を送れるはずだ。
そんなふうに思わせてくれる。
今だからこそ、僕たちに強く問いかける作品だと思う。