うえびん

忠臣蔵のうえびんのレビュー・感想・評価

忠臣蔵(1958年製作の映画)
3.8
私たちは何者か

1958年 渡辺邦男監督作品

昔は、年末年始のテレビ時代劇で、毎年のように放映されていた『忠臣蔵』。若い頃は西洋にかぶれ、時代劇なんか古臭い、邦画よりも洋画の方が洒落ていて知的だと思い込んでいて、まったくの食わず嫌いだったその物語を初めて鑑賞しました。

スーッと心に沁み込む何かが感じられました。年を重ねて分かってきた自分のルーツやアイデンティティ。日本的なものや日本人の思想が、ふんだんに散りばめられているからなんだと思いました。


『現代語訳・武士道』(新渡戸稲造・著)

▶親への孝よりも主君への忠

西洋の個人主義は、父と子、夫と妻に別々の利害を持つことを認める。それゆえ必然的に、人が他人に対して負う義務は大きく軽減されることになる。しかし武士道は、家族とその成員の利害は一体――つまり一にして不可分――だとみなした。この利害は、愛情――自然で本能的で誰しも抗えないもの――と結びつけられた。

そうであるなら、もし私たちが、(動物でさえ持つ)自然の愛情によって愛する者のために死んだとしても、それが何であろうか。「自分を愛する者を愛したとしても、何の報いを得られるだろうか。徴税人でさえも同じことをしているではないか」(『マタイ福音書』)。

頼山陽は、その大著『日本外史』において、父清盛の反逆行為をめぐる平重盛の胸中の葛藤を、感動的な言葉で物語っている。
「忠ならんと欲すれば孝ならず。孝ならんと欲すれば忠ならず。」

なんと哀れな重盛!私たちは、のちに重盛が、純粋であることと正義を貫くことが困難な現世から解放されるべく、情け深い天が死をもって自分を抑えに来てくれるよう祈るのを見るのである。

多くの「重盛」が、義務と愛情の間で葛藤し、心を引き裂かれた。実際、シェイクスピアにも『旧約聖書』にも、日本人の親への尊敬の念を示す概念である「孝」に相当する適切な言葉はない。しかし、このような葛藤の場で、武士道は忠義を選ぶのに決してためらわなかった。


西洋の個人主義とは違う家族や主君に対する“忠義”。それが、どのようなもので、武士がどのように行動に表すのかがよく分かります。

▶報復の制度

武士道における自殺の制度は、その濫用が一見して人を驚かすほどには不合理ではなく、野蛮でもないことを見てきた。私たちは、これからその制度の姉妹にあたる敵討(かたきうち)redress――もしくは復習revengeと言ってもいい――の制度の中にも、何らかの美点があるかどうかを見よう。

私は、この問題をわずか数語で片付けることができると思う。おそらく同様の制度――習慣と言ってもいいが――は、すべての民族の間に行われてきたのであり、今日でもまったく廃れていない。それは、決闘やリンチが続いていることで証明されている。最近でも一人のアメリカ人将校が、ドレフュスの仇を報ずるため、エステルハージに決闘を申し入れたではないか。

結婚という制度をもたない未開種族の間では、姦通は罪ではない。ただ愛する者の嫉妬だけが女性を乱暴から守るのである。同様に、刑事裁判所のない時代にあっては、殺人は犯罪ではない。ただ被害者の身内が復讐しようとたえず狙っていることだけが、社会の秩序を維持したのである。

「地上にあってもっとも美しいものは何か」と、エジプト神話でオシリスはホーラスに尋ねた。その答えは、「親の仇を討つことである」と答えた。日本人は、これに「主君の仇」を付け加えるだろう。

復讐には、人の正義感を満足させるなにかがある。復讐者はこう推論する――「父上は死ぬべき理由はなかった。父上を殺したものは、大罪を犯したのである。父上が存命ならば、このような行為を見過ごしはしないだろう。天もまた悪行を憎む。悪を犯した者にその悪行を止めさせるのは、父上の意志であり、天の意志でもある。私の手で彼を殺さなければならない。なぜなら、彼は父上の血を流したのだから、その血を分けた私が、この殺人者の血をながさなければならない。彼は、不倶戴天の敵である。」

こうした考えは、単純で幼稚である。(しかし私たちは、ハムレットもこれ以上に深く考えなかったことを知っている)。それにもかかわらず、これは、人間が持って生まれた正確な平衡感覚と平等な正義感を示している。

「目には目を、歯には歯を」――私たちの復讐の感覚は、数学的能力のように正確であって、方程式の両項が満たされるまでは、何事かがまだ果たされぬまま残っているという感覚を除くことはできないのである。

妬む神を信じるユダヤ教や、メネシス神を持つギリシャ神話では、復讐は超人間的な力に委ねられるだろう。しかし、常識は、武士道に、ある種の倫理的平衡感覚を保つための裁判所として、敵討の制度を与えた。そこでは通常の法によっては裁けないような事件を訴えさせるようにしたのである。

赤穂四十七士の主君は切腹を命じられた。彼は、控訴する上級裁判所を持たなかった、彼の忠実な家来たちは、当時存在した唯一の最高裁判所である復讐に訴えた、そして彼らは、法によって罪の宣告を受けた。――しかし、民衆の本能は違う判決を下した。それゆえに、四十七士の記憶は、泉岳寺に残った彼らの墓に今に至るまで香華が絶えないのと同じように、芳香を放っているのである。

老子は、怨みに報いるに徳をもってす、と教えたが、正義をもって怨みを奉じるべきことを教えた孔子の声のほうがはるかに大きかった。――しかし復讐は、ただ目上の者や恩人のために行われる場合のみの正当である、とされた。自分自身に加えられた害悪は、妻子に加えられたものも含めて忍耐し、許さなければならなかった。

それゆえ、武士は、祖国の仇を奉じようとするハンニバルの誓いには全幅の共感を寄せることができたが、ジェームズ・ハミルトンが、摂政マリーに対し妻の仇を討つため、妻の墓から一握りの土をとって帯の中に携えたことは軽蔑するのである。


現在の司法制度では認められていない報復(敵討ち)を、旧い時代の野蛮な因習だと一蹴するものではないと、あらためて考えさせられます。

▶美徳は頂上から

(中略)デモクラシーは、生まれながらに王の資質を持つ者をその指導者として担ぎ、貴族主義は、王侯的精神を民衆の間に注入する。美徳は、悪徳に劣らないほど感染力が強い。「仲間の中に一人賢い人がいればいい。そうすれば、みな賢くなる。影響はそれほど速い」とエマーソンは言う。どんな社会階級・階層も、道徳的感化の普及力には抗しがたい。

アングロ・サクソンの自由が広く行き渡ったことについて言葉を重ねてもよいが、それを大衆がもたらしたことは稀だった。むしろそれは、大地主やジェントルマンの働きではなかったか。(中略)

デモクラシーは、自信に満ちた言葉で言い返すだろう――「アダムが耕しイヴが糸を紡いだ時、どこにジェントルマンがいたか。」

ジェントルマンがエデンにいなかったのは、本当に残念なことだった。人類の始祖は、彼の不在によりたいへん苦しみ、高い代価を払うことになったからである。もし彼がそこにいたら、楽園は〔イチジクの葉ではなく〕もっと趣き深い衣装を作っただけではない。エホバに対する不服従が、不忠にして不名誉、裏切りにして反逆であることを、痛い目にもあわず学んだだろう。


“ジェントルマン”は、プラトンの言う“イデア”とほぼ同義かと思います。1989年のフランス革命から始まったデモクラシー(民主主義)が世界中に広まってから230年強が経ちますが、為政者は、ジェントルマンやイデアからは益々遠のき、今だけ、金だけ、自分だけの傲慢さが目立つようになっています。

世の中をよりよくするためにどうすればよいか。やはりその智慧は、先人たちが心血を注いで築き上げてきた、自分の社会や国の中に見出すべきだと思いました。

▶武士道はまだ生きているか

我が国に怒濤のように侵入してきた西洋文明は、すでに古くからの訓育の痕跡を残らず洗い流してしまっただろうか。

もし一国民の魂が、それほど早く死滅するものだとすれば悲しいことである。外からの影響にそんなにも簡単に屈服するとしたら、貧弱な魂である。

国民性を構成する心理学的諸要素の集合体は、「魚のひれ、鳥のくちばし、肉食動物の牙など、それぞれの種にとって除くことのできない要素」と同様、分離しがたいものである。フランスの社会心理学者ル・ボン氏は、皮相な独断と派手な一般化に満ちた著書において言う――「知性による発見は人類共有の財産であるが、性格の長所短所は各国民が専有する遺産である。それらは固い岩のように、何百年もの間、毎日水が洗っても、せいぜい外側の角を取り除くにすぎない」と。(中略)

武士道が私たち国民、特に武士に刻印した性格は、「種族にとって取り除くことのできない要素」をなすとは言えない。しかし、それが保有している活力については疑いようがない。かりに武士道が単なる物理的な力にすぎないとしても、過去七百年にわたって蓄積してきた勢いが、そう急に止まることはありえないだろう。もしそれが単に遺伝によって伝わるだけだとしても、その影響はたいへん広範囲に及んでいるに違いない。(中略)

武士道は、無意識のうちにも抗しがたい力となり、国民そして各個人を動かしてきた。近代日本のもっとも輝かしい先駆者の一人である吉田松陰が、処刑の前夜に詠んだ次の歌は、日本民族の偽らざる告白であった。

かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂
(こう行動すれば、死ぬことになるとを知っていながら、
私をその行動に駆り立てたのは大和魂である)

定式化はされなかったが、武士道は、わが国に生気を吹き込む精神であり、また行動の力であった。それは今でもそうである。


“今でもそうである”
だから、私のような日本人が赤穂事件から300年以上経った今でも、武士道精神が感じられる本作を観返すのでしょう。
うえびん

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