くまちゃん

血ぬられた墓標のくまちゃんのレビュー・感想・評価

血ぬられた墓標(1960年製作の映画)
3.6
モノクロの中に色彩を感じさせる見事なコントラスト。
炎や光、陰影を駆使し、白と黒の画面を最大限に生かした手腕は見事である。
火刑場の炎から始まり、青銅の仮面を打ち付けられるところでのタイトルバックに引き込まれた。
棺の中で朽ちている遺体の眼窩から無数のサソリが這い出してくる所で寒気を覚え、眼球が再生される部分でちびった。

邪悪な霊を浄化するため打ち鳴らされた鐘の音は、後に起こる不幸を暗示しており、クルヴァヤン医師を屋敷(墓所?)に招いた時も鳴っていた。

序盤でカティアに一目惚れしたアンドレイ。
気を失ったカティアを部屋に運ぶ場面で、呻き喘いでるカティアを物憂げに見下ろすアンドレイが欲情してるようにしか見えん。ベッドに寝かせて、シャツの襟のボタンを外したときに胸元へ視線がいき、ロザリオのネックレスにカメラがフォーカスされるが、胸を凝視してるようにしか見えん。
しかも不幸があって落ち込んでるカティアを口説く始末。自分でも不謹慎だと理解してるあたり救いようがない。

オルガンの音や牛の鳴き声、犬の鳴き声、雷鳴に風の音。
不吉の前兆に数多くの音が使われており、観客の不安を絶妙に煽ってくる。

終盤で神父率いる村人たちが松明を持って乗り込んできて、魔女を火炙りにする所で幕を閉じる。
物語は200年の時を経ているため、
魔女狩りで始まり魔女狩りで終わるという構成が、人間の持つ普遍的な暴力性や愚かさをシニカルに描写している。
群集心理の恐怖は、SNSが普及した今にこそ刺さるだろう。
ラストの燃え盛る炎の中でのTHE・ENDの文字、いや何も終わってはいない。
物語の舞台からさらに200年が経過した現在。インターネットを中心に、正義を振りかざし、過ちを犯したものを問答無用に攻撃する、魔女狩りはこれからも続いていく。未来永劫に…
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