うえびん

花よりもなほのうえびんのレビュー・感想・評価

花よりもなほ(2006年製作の映画)
3.8
絶対善と絶対悪

2006年 是枝裕和監督作品

是枝監督のオリジナル脚本、岡田准一主演で描く人情時代劇。

元禄15年、刃傷松の廊下の事件の翌年。仇討ちに藩が賞金を出していた時代に、田舎侍の宗左衛門(岡田准一)が、父の仇討ちのために江戸に出てくる。剣の腕がからきし立たない宗左衛門は、貧しいながらも人情味あふれる長屋で暮らす間に、仇討ちをしない人生もあることに気づかされる。宗左衛門は、仇討ちに対して疑問を抱き始めるが、そんな時に赤穂浪士の討ち入りが起こる…。

時代が江戸でも(フランスでも韓国でも)変わらない是枝節が見える。
・悪いだけの人は誰も出てこない。
・登場人物一人ひとりの背景が丁寧に描かれる。
・市井の人びとの生活感が感じられる。
・子どもが第二の主人公となっている。

天下泰平の時代に“武士(もののふ)として生きる道”とは。

「百姓は米をつくり、商人は物を売る。侍だけは何も作らないし売らない。侍というのは戦の中で命のやり取りをして一人前になっていく。」

“憎しみ”を心の糧に命のやり取りをする“仇討ち”

「憎き敵(かたき)の寿(ことぶき)も祈り…」「糞(憎しみ)を餅(?)に」変えようと宗左衛門と長屋の仲間たちで智慧を振り絞った結果は…。

天下の悪法と言われた「生類憐みの令」、動物に対する過剰な規制は、現代のポリティカルコレクトネスの過激化に重なる。また、仇討ちには、世界各地で繰り返される紛争を想起させられる。

16世紀フランスの哲学者モンテーニュは言った。
《法律というものは、しばしば愚者によって作られ、(中略)空にして心定まらぬ人間によって作られているのである》《法律が信奉されているのは、それらが正しいからではなくて、それらが法律であるからだ。これが法律の権威の不可思議な根拠で、ほかに根拠はないのである》

日本には、西洋法とは違う日本古来のやり方(智慧)があった。江戸時代、村で紛争が起こると村人は寺に駆け込んだ(駆け込み寺)。離婚のためにも(縁切寺)。日常に起こる紛争に、お詫びをさせたり、処罰を強いたり、極刑から救済したりと、お寺や神社が加害者と被害者を結ぶ巧みな調停役だった。

古今東西、人の世に絶対善と絶対悪は無い。だから、善と悪を裁く絶対的な基準も無い。その上で、同じ社会や地域に住む人たちが共に暮らすこと、さまざまな家族のかたち、紛争が起こった時にはどのように折り合いをつけるのか、本作にも是枝作品に通底する問いが散りばめられている。
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