オーウェン

007 ドクター・ノオ/007は殺しの番号のオーウェンのレビュー・感想・評価

4.0
この映画「007ドクター・ノオ」は、007シリーズの記念すべき第1作目の作品で、ショーン・コネリーの初代ジェームズ・ボンドが大活躍するんですね。

この同一のキャラクターを主人公にしたスパイ映画としては、最も長く続いているシリーズで、英国諜報部で殺人許可証を許されたスーパー・エージェント"007"ことジェームズ・ボンドが、全世界を股にかけて巨悪と戦っていくというもので、シリーズを通して、女好きのボンドの相手となるボンドガールや、毎回趣向を凝らしたハイテク武器、そして、他の映画にはない派手なアクションシーンを見せ場とするシリーズで、この「007 ドクター・ノオ」は、このシリーズの記念すべき第1作目の作品で、1963年の日本での初公開時の邦題は、「007は殺しの番号」でした。

とにかく、初期の007シリーズは、断じてただの活劇、アクション映画ではなく、そこには活劇を超えた何かがあったように思います。
それは、イアン・フレミングの原作と複雑に絡み合っているような気がします。

英米で大人気を誇っていたイアン・フレミング原作のジェームズ・ボンドもののスパイ小説が、「死ぬのは奴らだ」を皮切りに日本に紹介され始めたのは、1950年代の後半との事で、当時、大人の紙芝居としてミステリー・ファンの間で評判を呼んだと言われています。

大人の紙芝居として何がそんなに受けたのかという事を考えてみると、それはやはり、悪玉の魅力ではないかと思います。
ドイツ系中国人で百万人に一人の右心臓の持ち主のドクター・ノオ、黄金病患者のゴールドフィンガー、砂漠の西部劇マニアのスパング兄弟、スペクターの首領のブロフェルドなどなど。

これら誇大妄想狂的な悪玉どもが、「私の話を聞きたまえ、ボンド君」などと言いつつ、地上に悪の千年王国を築く夢を語るのです。そこが、バカバカしくもあり、哲学的で面白かったのです。

そして、映画も同様で、この第1作目の「007ドクター・ノオ」から6作目の「女王陛下の007」までは、イアン・フレミングの原作に基本的に忠実であり、これらの魅力的な悪玉をこってりと描いていたと思います。
シリーズとして燦然と輝いている理由がここにあったのだと確信的に強く思います。

もちろん、その根底に潜んでいたのは、多くの冒険スパイ活劇と同じく、反共意識だと思います。
真の敵は共産主義のソ連なのですが、それをただ語ったのではロマンになりません。
だから、ソ連をも凌ぐ恐るべき敵として、国際陰謀団を登場させたのです。

それは、世界が自由主義と共産主義、西と東、アメリカとソ連の二極にきっちりと分れていた冷戦下だからこそ生まれた物語だと思います。
イアン・フレミングの人気が頂点に達した1961年に、ベルリンの壁が築かれ、そして、この映画「007ドクター・ノオ」が登場した1962年に、キューバ危機が勃発しています。

当時のジョン・F・ケネディ大統領がイアン・フレミングの愛読者だったのは、偶然ではなく、核戦争が一触即発という極度の緊張の中で、ひと時見る甘美な夢だったのだろうと思います。

盲目を装った3人組の殺し屋の巧妙な殺人から、この映画は幕を開けますが、ケープ・カナベラル基地から発射されるロケットの弾道を狂わせる怪電波の発信地を突き止めるため、ジャマイカへ派遣されたジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)の活躍が痛快に描かれています。

監督は娯楽映画の職人監督テレンス・ヤングで、ハードボイルド・アクション風の面白さを最大限に盛り上げて、特にボンドが使う消音拳銃の扱い方など、我々アクション・ファンを唸らせます。

この映画の頃は、まだ秘密兵器などというものはなくて、ボンドは自分の知力と体力をフルに活用して敵と戦うのです。
例えば、ボンドがホテルの部屋を出る時、自分の頭髪を1本抜いてドアのノブに巻き付けておき、帰って来るとノブを調べて毛の有無を確かめ、毛がなくなっているとわかると、靴を脱いで静かにドアを開け、影のように素早く部屋の中へ滑り込むといった調子です。

当時はやせて精悍な感じのショーン・コネリーが、颯爽たるタフガイぶりを発揮しており、この1作で大ブレークして、たちまち彼は世界的な人気スターの座に踊り出たのです。

そして、ラブ島が怪電波の発信地である事を突き止めたボンドは、グラマーな美人のハニーと一緒に島へ潜入し、人工の要塞と化した島の中で、アメリカのロケット計画を全滅させようと企むドイツ系中国人のドクター・ノオ(ジョゼフ・ワイズマン)と対決する事になるのです。

前半部の歯切れのいいハードボイルド・アクションにひきかえ、後半部の要塞島のセットが多分に安っぽく、子供だましみたいな印象を与えたのが残念でした。
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