りょうすけ

突然炎のごとくのりょうすけのレビュー・感想・評価

突然炎のごとく(1961年製作の映画)
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「突然炎のごとく」

原作者アンリ=ピエール・ロシェの実体験に基づく小説を原作とした作品。内気で女性に対してあまり積極的でないオーストリア人のジュールとフランス人男性の典型とも言えるジムの友情と、彼らの前に現れた石像のような美しさを持つ女性カトリーヌ。

文学をきっかけにして出会ったジュールとジムは、正反対の性格と思いきや意気投合し、第一次世界大戦で敵国として戦わなければならないという状況に置かれても、その友情は途切れることなく続く。しかし、彼らが文学上で知る女性とは違いカトリーヌは自由奔放な女性で、二人の運命は彼女に翻弄されていく。

ゴダールやスコセッシ、タランティーノなど多くの映画人に影響を与えた映画。今ではミソジニーと思われかねないような女性の描き方が多かった時代に制作され、今までの固定概念からは大きく外れ、開放的な女性を描いた作品。

トリュフォー自身は本作がフェミニスト映画として語られることに対し否定的であるようだが、現在の映画界の流行を踏まえると、そのような切り口で語られることは致し方ないのかもしれない。

トリュフォーはモテない童貞男を描くのが好きなんだなと思う。「ピアニストを撃て」の主人公のピアニストは内向的で女性に対して積極的なキャラクターとは言えない。本作のジュールも同様の描き方がされており、トリュフォー自身あまりモテるタイプではなかったんだろうか。自分の恋愛観をキャラに投影するといえば、ウディ・アレンを思い出すが、彼の作風には同じものを感じる。

男たちを魅了する自由奔放なファムファタールを描きたい作品なのか、同じ人を好きになっても揺らぐことない強固な友情を描きたい作品なのかはよくわからなかったが、お互いに譲り合いの精神とその一途な思いを抱き続けるジュールとジムの関係性の描き方は非常に美しく、素晴らしいものだった。

しかし、本作のカトリーヌの貞操のなさは私の許容の範囲を超えており、どうしても受け入れることができなかった。

私は決して「開放的な女性」を否定したいわけではない。セーヌのほとりでジュールとジムが語り合った女性の話には、辟易したし、それに対してのカトリーヌの行動は、抑圧からの解放を意味する象徴的なシーンだった思う。

しかし、どんな信条を持っていたとしてもある程度の自制は必要であり、終盤ジムがカトリーヌに諭すように、また攻めるように言うカトリーヌという人間像が全てだなと思った。

また、ふとしたときに出会いそうな作品なので、評価はその時にまた改まると思う。経験や年を経るごとにこの作品もまた味わい深いものになるのかもしれない。
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