KnightsofOdessa

ヨーロッパの何処かでのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ヨーロッパの何処かで(1948年製作の映画)
4.0
[戦争に囚われた戦後の不寛容] 80点

傑作。独ソの戦いによって戦火に包まれたハンガリーも、1945年には映画製作を再開する。続く不安定な時代の中でも細々ながら映画製作自体は生き長らえ、連立統治に参加する政党がプロパガンダを含めた宣伝のために資金提供を始め、ハンガリー共産党の出資した本作品は、当時の欧州もとい全世界で共感される物語を持っていたために、世界的な成功を収めることとなった。本作品の主人公たちは戦争孤児たちである。収容所へ向かう列車の窓から逃された子供、放牧に出ていて村への爆撃を生き延びた子供、目の前で父親を処刑された子供など彼らの過去が短く並べられる冒頭では、遊園地に逃げ込んだ少年が火事で燃え、溶け落ちるヒトラーの蝋人形を眺めるという間接的なトラウマ体験を味わうことができる。生き残った彼らは偶然か必然か次第に集まっていくのだが、冒頭の具体→抽象の流れがあまりにも見事すぎる。非力な彼らは力を合わせ身を寄せ合って暮らすことになるのだが、彼らのトラック強盗や畑荒らしのカット割りも華麗すぎる。

そんな彼らは農民たちから"害獣"として忌み嫌われており、所有者のいない朽ちかけの古城に流れ着くのだが、そこには心優しい老音楽家が独りで住み着いていた。子供たちは老音楽家の真意が分からずに、面白いからと彼を吊るそうとするなど、その野蛮さにかけては彼らを孤児へと追いやったナチスに引けを取らない。しかし、初めて優しい大人という庇護者を得て、彼らは初めてそれに気が付く。戦争が終わっても戦争に囚われ続け、自由の意味すら忘れた彼らが次第にそれに気付いていくのだ。その中心にいるのが、老音楽家の教えたラ・マルセイエーズというのも、同じく戦争によって蹂躙された国家の繋がりが見え隠れする。

彼らは確かに畑を荒らすし、トラックを襲うし、近所にいて欲しい存在ではない。しかし、彼ら"孤児"という存在を生み出してしまったのは大人たちに一方的な責任があり、彼らを排除することだけは許されてはならない。そして、彼らを新たな世界の担い手として受け入れるという普遍的なテーマまで広がっていく。それと並行して語られる、夢が叶う直前に命を落とす仲間の姿には、戦争を生き延びても戦後の不寛容を生き延びられなかった全ての子供たちが重なってしまう。
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