アー君

フリーク・オルランドのアー君のレビュー・感想・評価

フリーク・オルランド(1981年製作の映画)
3.6
ヴァージニア・ウルフ「オーランド」をオッティンガーなりの解釈で派手に映像化しているが、章ごとに分かれていても、肝心の構成が素っ頓狂のオンパレードだから意識しても仕方ないかな。(というか私はできなかった)

同性愛、小人、キッパを被った男。双頭女、オペラを歌うジェンダーレスなキリスト、軍靴の音から連想されるナチスの残像、シャム双生児との結婚と殺害。かつての第三帝国の優生思想による迫害は凄惨なものだったのだろう。この亡霊のような登場人物たちは、あからさまではあるが、記号化されて描かれていおり、日本でいうところの赤テントの状況劇場や丸尾末広の劇画の世界観と同様にキッチュ(kitsch)のお手本である。

ビニールの擦れあう音や、軍靴の音、人工物と自然が重なり合う音、後半から音に対する監督の特別なこだわりが薄くなってしまったようだ。高解像度の再スキャンからの画質補正よりも音響面でもう少し立体感のある解像度に調整をしたかった気もするが。

やはり本場ドイツらしいなと感じたのは、エンドクレジットなどに使用されていた書体はフーツラ(FUTURA)が綺麗に配置されて美しく使用されていた事である。
ドイツでいう未来(Future)という意味でもあるが、Fritz Weichert フリッツ・ヴァイヒェルトからの由来という説もある。

一般的にどのようにこのフォントが使われているのかといえば、有名どころではヴィトンやフォルクスワーゲンのロゴをイメージしていただければお分かり頂けるのではないだろう。(日本では過去にアイドルグループSMAPのブランディング戦略として使用)

周辺の噂で、このフォントはナチスをイメージさせるという話はあるが、これは都市伝説である。当時の保守派はフラクトゥール系を使ったポスターを推奨して宣伝をしていたので、基本形にもとづいた見やすさと機能美を追求していたドイツ生まれのフーツラ書体ではあったが、戦時中は排他的な扱いで攻撃の対象となっていた。実際に作者であるパウル・レナーはナチスから目の敵にされていたバウハウスで教鞭をとっていた関係もあり、共産主義者という言いがかりで逮捕されて祖国を追われることとなる。(写植時代の先輩はフツーラと仰っていた。)

本題に戻るが、後半のコンペティションが中心の章はB&Bが司会をしていた「勝ち抜きブス合戦」というバラエティ番組と似ていたが、発表時期が同じ時期なのでオリジナルがどちらなのか知りたいところ。冗談はさておき、通りがかりの男の優勝は元から仕組まれており、この筋書きのある出来レースは、ホロコーストにおける約束された死が保証されたゲームのパロディである。

評論家の解説も時代考証とドイツロマン主義の系譜からレトリックで紐解いていくのが精一杯という感じもするが、純正のゲルマン系ではない彼女の出自からみれば、両親に対してアンビバレントな感情があり、無意識に現実を受け入れられなかったことや、戦時中の原体験を視覚芸術として昇華してきたのだろう。この映画からキリスト教以降の父権性と母権性の対立からフェミニズムの原型を汲みとることはできるが、やはり表現手法は奇異であり、ジェンダー論が色眼鏡としてみらてしまう点も危惧している。

〈ウルリケ・オッティンガー ベルリン三部作〉
[ユーロスペース 13:00〜]
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