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正義の行方のKuutaのレビュー・感想・評価

正義の行方(2024年製作の映画)
3.9
1992年に福岡県で女児2人が誘拐、殺害された「飯塚事件」のドキュメンタリー。事件は地元に住む久間三千年(くま・みちとし)が逮捕、死刑が執行されたが、未だに真相に疑義を唱える人がいる。「私たちの羅生門」とキャッチコピーが謳うように、警察、弁護士、地元の西日本新聞社の3視点で事件が語られる。

・元はNHKの50分×3本のTVドキュメンタリー。当初から映画化を見据えており、過剰なテロップやナレーションは抑えられている。人物の顔、表情を通してなにが本当なのか、観客に考えさせる映画的な作りを徹底している。

・この事件がもっとも特殊なのが、死刑の確定から2年後という異例の早さで刑が執行された点だ。裁判のやり直し(再審請求)の準備中に久間は亡くなり、担当弁護士は自分たちの仕事の遅れが殺したようなものだと自責の念に駆られる。彼らは彼らで、事件に取り憑かれたようになっていく。

それぞれの「正義の表情」を対面取材でつまびらかにする今作だが、証拠を捏造した可能性を指摘された検察と、不意打ちのように死刑を執行した法務省、この二者の「顔」は最後まで見えない。弁護士は、久間が無罪となれば、日本の刑事司法制度が根本から揺らぐ、と指摘する。なぜ2年で刑を執行する必要があったのか。要らぬ邪推をしてしまう。

・福岡県警の当時の捜査員が、軒並み顔出し実名で取材に応じている。「元警察官」のコメンテーターが適当な憶測をばら撒くのが今のテレビではお馴染みになってしまっているが、今作はガチで捜査の中枢にいた人が、なにを見て、なにを考えていたのか生々しく語っている。彼らからすると犯人は久間しかいない、その見方もわかる。

・一方で、弁護士の調べで、誘導尋問に近い強引な手法で証言を集めた跡が見え隠れする。決定的な証拠がないにも関わらず、状況証拠を基に久間を犯人だと認定した裁判所の根拠が少しずつ揺らいでいく。「あれ、これマジでやってないのでは…?」とグイグイ引き込まれる。

・西日本新聞が2017年に始めた、事件の検証報道に話が移る後半から、映画は別方向へドライブし始める。

当時、最前線で警察を取材し、久間が重要参考人だとスクープした記者の宮崎昌治氏(社会部長になっている)に対し、あの報道は正しかったのか、現役の記者が「ゼロベースで」証人や関係者に当たって調べ直す、という企画だ。

「3者がそれぞれの正義を信じて仕事を貫いた」ことが描かれる今作中で、特ダネを連発していた宮崎氏だけが、当時警察の言葉を信じ過ぎ、偏った正義に乗っていたかもしれないと認める。この苦悶の表情が、2時間半で最も印象的だった。身内を裁き、自らが誤っていた可能性を認める姿を丸ごとドキュメンタリーにする西日本新聞はなかなか懐の深いメディアだ。

宮崎氏の姿が、一つの正義を信じる危うさを象徴している。これは警察やマスコミだけでなく、今の世の中全体への提言にもなっている。重いテーマの映画だと敬遠せず、多くの人に見てもらいたい。

・とにかく不審な捜査の陰がちらつく。飯塚事件の1年前にも女児が行方不明になる事件があり、警察は久間が関与したと睨んでいた。久間をポリグラフ検査(嘘発見器)で調べ、反応を示したという福岡の山中から、女児と同じ衣服が見つかる。しかし散々探して出てこなかった手がかりがなぜこんなにあっさり見つかるのか?警察のでっち上げでは?とむしろ疑念が高まるエピソードだった。

・久間犯人説の1番の柱だったDNA鑑定は、当時は警察に導入されたばかりの黎明期で判定精度も甘かった。そんな中、DNA鑑定を国内に定着させようとする、ある国家レベルの圧力が、捜査を動かした疑いが浮上する。この急展開にはビックリで、意外なきっかけからロシアの国家ぐるみのドーピングを暴いたアカデミー賞受賞作「イカロス」を連想した。
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