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悪は存在しないのKuutaのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
3.9
バランス=重心への意識と崩壊を描く姿勢はそのままに、人間を含めた「自然の調和と崩壊」を描く今作は、今までよりも視野の広がった新境地だと思うが、寝ても覚めてもが至高な私としては「人間関係の調和と崩壊」をもっとエグってほしかった。

・人間やチェーンソーの赤と、自然の青や白のせめぎ合い。湧き水を飲む人間は、結局霧の中に引き戻される。異世界が近づくほど画面が煙たくなる黒沢清感…というかほぼ「カリスマ」では。巧は森と同化して見えなくなる

・足音とともに長回しが終わり、空を見る花が映るので、オープニングは空を見ていた花の視点なのだろう。

続く巧の初登場シーンで、彼は薪を並べた後、タバコを吸いながら目線を上げるが、引きのショットなので空を見たか判然としない。見上げることについての親子の微妙なズレは、冒頭から示されている。物語的な意味付けをするなら、それは不在の母との向き合い方のズレと言える。

左ドリーを続けた先の「下手」に置かれる鹿の水飲み場と草原は、水が流れ込む下流であり、死が堆積する。水飲み場はあの世への入り口に見える。

花は草原で鳥を見上げ、追いかける。羽を集めていた彼女がラストで再び草原にいたのは、鳥を探して空を見上げていたのではないか。花が行方不明になる直前、彼女は画面いっぱいに下手へ駆け、フレームアウトする。高橋は下手から這い上がって気合いでフレームインしており、生き延びたと理解した。

冒頭が「花から見た不在の母への視点」だとすれば、ラストは巧が妻を思って見上げることを取り戻したショットに受け取れる。木の枝は最初から変わらずそこにあり、空だけが黒く反転している。

・見上げることを除けば、長野ではよくカメラが動く。ドリーもパンもあるし、前後の移動もある。東京ではリモート会議を中心にフィックスで撮っている。

第3幕で黛と高橋は町への同化を試みる(町に向かう道中、マッチングアプリの会話の辺りで運転席から見える山の霧が凄い)。彼らは第1幕の巧の動きをコピーする。黛が休み休み水を運ぶ時、カメラは彼女に合わせて右へパンする。

うどん屋で鹿の話をする場面で正対切り返しが入る。花と鹿の最後の切り返しも正対。鹿と向き合う時はやはり特権的なカットを置いている

・森を見上げる冒頭は、だんだん木の枝がゲシュタルト崩壊してきて、空に黒いモヤがかかっているように見えた。「吸血鬼」っぽさ(https://youtu.be/--IBwKXbRQ4?si=YDBdb1tPmOCeZU1b)があり、あれは死の世界から見た空でもあったのかなと、本編で白い息や煙が映るたびに思った。

・第1幕、第3幕の川で水を汲む場面の、画面奥で木が横倒しになっている構図は、東京のファーストショットで電車と高速道路が交差する形と同じ。都会の人、という濱口竜介の自覚からか、東京と長野を相似に描いており「田舎の生活」は掘り下げていない

・足音や銃声など、シーンを先取りして音がやってくる。製作経緯が関係しているのかも。大きな声を出す不快さは東京、長野双方に共通し、何よりも巧のチェーンソーがうるさい。

・ワサビ目線や鹿の死骸目線、後部座席から後ろを振り返る視点。「カメラというどこにでもある自然」に見つめられている感じ
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