【ここから考察すること】
上映後監督の舞台挨拶があった。
ゴールデンウィークあけ、それほど遠くないうちに第二次再審請求の結論がでるらしいと言っていた。
そして、新証言として三叉路の目撃について……これはレビューの後半に。
映画の中で様々なことをお話しされる元県警の刑事部長さんが、監督に、作品は偏ることなく構成されていたとコメントしていたらしい。
僕も映画を観ながら同様に感じていた。
また、既に刑が執行された久間(くま)さんに対する偏見などが、当時の西日本新聞にはあって、報道を通じて世論形成もなされた可能性や、あくまでも、もしかしたら…という仮定の話になるのだが、それが捜査や鑑定にも影響したんじゃないのかと、人の思い込みとは怖いし、裁判員裁判の懸念点でもあるなと考えたりした。
この事件報道を自ら再検証しようとした西日本新聞の姿勢は評価するべきだし、ともすれば冤罪だとの決めつけで悪者になりがちな県警の捜査サイドが、きっちりと証拠を積み重ねた結果だとして、堂々と取材に応じた姿勢にも感服する。
それに、久間さんの為人(ひととなり)についてはほぼ触れられることはない。
ここに違和感を感じる人もいるように想像するが、おそらく作品を観る人に先入観を植え付けないという意図があるのだろう。
弁護側が第二次再審請求に至ったのは、三叉路の目撃証言について、この映画には登場しない別の捜査官が、「あなたの目撃したと思っている日付は間違いで、日付は事件当日だ」と念押しされたことによるものだと証言が取れたことによるものらしい。
誘導尋問ということだ。
当時のDNA鑑定の精度の低さ、さはさりながら、最先端の鑑定を導入することに突き進む警察庁、曖昧な目撃証言、それにきっとあったであろう久間さんの為人による偏見、久間さんが犯人に違いないと思わせるような報道もきっとその為人についての取材が影響したからではないのか、そして、メディアによる世論形成への影響と、もしかしたらあったかもしれない捜査や鑑定への影響。
だがしかし、本当に考えるべきは、死刑制度には冤罪を100%防ぐ手立てはないことと、こうした刑が執行されたら取り返しがつかないこと、その上で、死刑制度をどう考えるのか議論する時期が日本にも来ているような気がすることだ。
EUやアメリカでも複数の州は既に死刑を禁じている。