確かに、この作品でも長回しがなんとも印象的。
冒頭の、主人公・ヤノーシュが酒場に集まった仲間たちに天文学について宣うところを始め、ただただ自分がお世話をしている音楽家エステルとヤノーシュが街を歩いていくだけのところ、そしてサーカスを載せたトラックが止まっている広場を歩いているところなど。
抑圧と暴力と集団的行動原理。
タル・ベーラの作品はどれも政治的でアナーキーなイメージはあるのだけれど、より一層この作品ではそれが際立つ。
サーカス団の影のフィクサー(?)「プリンス」に扇動されるまま、街を破壊し始める街の人々。
病院の中に入っていき、破壊活動はさらにエスカレートするのだが、その中で浴室で立ち尽くす全裸の老人を目の前にする。
そして彼らは … 機械の電池が切れたように、それまでの暴力を恥いるように帰っていく。
まるで、どちら側の大きな力に煽られようと、暴力に頼れば「虚無」しか残らないと言うように。どんなに正当な言い分があったとしても。
ヤノーシュも魅了される、あの神秘的でちょっとグロテスク… けれどなぜか目が離せなくなってしまうハリボテの鯨は、旧ソ連のメタファーだろうか?
いや、もしかしたらその巨大な「なにか」に頼って生きていくしかない、人間を模しているのかもしれない。