寝木裕和

アメリカン・フィクションの寝木裕和のレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
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「差別を無くそう!」
… と叫んでいる者の奥底にも、差別はあるんじゃないか?

いや、そういうのとも違うかな。

『差別』というものに対するこのような取り扱い方は、正しいですか?
そんな深い問い。
「正しさ」とか「間違い」とか、なにを基準にするのか… そもそも正否なんてあるのか… とかも含めての。

でも、重苦しかったり説教臭くなるのではなく、この作品での描き方は皮肉な笑いも交えつつ、ある意味とても洒脱。

以前、米国アカデミー賞で『ムーンライト』が作品賞を取ったとき、前年があまりに「白人至上主義的」偏った賞の与え方だったので、翌年そのことの反動で受賞した… と揶揄されたけど…。

本作品を観ながらそれを思い出した。

謂わゆる黒人的であることを過剰に、前面に押し出したステレオタイプの作品をひどく嫌悪する、小説家で大学の講師も務める主人公・モンク。

彼が困窮した状況によって、半ば冗談で書いた「白人が期待するステレオタイプな黒人的作品」がとんでもないベストセラーになってしまう、というところから始まるブラック・コメディ。

ヤケになったモンクが、小説のタイトルをFワードにする!と息巻くくだりには思わず吹き出してしまった。

アメリカ社会の中だけでなく、こういった、他者をカテゴライズしてある偏見の中に押し込めて判断する… という傾向はどこにでも、… 誰の心の中にでもあるだろう。
そこをこの作品では鋭く突いていて、コメディタッチに仕立ててあるけれど、かなりハッとさせられる。
自分にもこういう傾向は無意識の中にあるのではないか、と。

モンク… という役名も、あのジャズメンが元になっているのは自明だろう。
だから、というわけではないが、かつてマイルス・デイビスのバンドに在籍していたビル・エバンスが他のメンバーから「音が白すぎる」と苛めに近い扱いを受けたことをも、ふと思い出されてしまった。

人間というものはカテゴライズや偏見の範囲内にいてもらえることの方が安心するのだろう。

ラストの「え… ということはコレ、どこまでが劇中劇… ?」みたいなメタ構造をチラ見させるのも面白い。(この場合は小説内、か。)

いろんな角度で捉え得る深い作品だ。
寝木裕和

寝木裕和