おいなり

異人たちのおいなりのレビュー・感想・評価

異人たち(2023年製作の映画)
3.8
山田太一原作の小説を、舞台を現代ロンドンに移して映画化した本作。

主人公がゲイとなったことで、タイトルでもある「異人」にふたつの意味を持たせている。
原作は夏を舞台に、死者が現世に帰ってくる「盆」という季節をモチーフにした、怪談というほどではないにせよファンタジー的な要素の強い作品だったが、国外が舞台となったことで、物語の流れ自体は沿いながらもちょっと味付けを異にする映像化となっている。
そういう意味でも正しく別物だが、個人的には亡くなったはずの両親との「再会」にフォーカスを当てた原作に対し、もし両親が生きていたら、どんな風に自分を受け入れてくれるだろうか?というifが、捻りと深みを持たせられているように思えて、個人的には興味深かった。
根底のテーマは変えず、より深化していると感じた。



今の世の中は、少しずつ同性愛者であることに寛容になりつつあるので、時折忘れてしまうが、多くのゲイ(あるいはクィア)は、多かれ少なかれ「異人」であることに対する苦悩を抱えている。
幼い頃から自分が他者とは違うことに悩み、その痛みを成長期を通してずっと感じ続ける。誰にも相談できず、一人で。
大人になるにつれてそれに慣れ、痛みに鈍感になっていくが、手のマメが治るたびに皮膚が硬くなっていくように、胸の「しこり」は少しずつ大きくなっていく。

誰もが彼らを受け入れられるわけではない。たとえ、肉親であっても、無条件でそれを認め応援できるという人は、まだまだ多いとは言えないと思う。
他者がどんなに取り繕っても、彼らはこの世界では未だ「異人」なのだ。
無邪気な悪意を向けられ続ける社会から自分を守るために、偽り、殻に篭り、皮膚を硬くしていく。そしてそんな彼らに、無邪気な善意はある日こう言うのだ。「なぜ言ってくれなかったのか」と。

そんな過酷な世界で、「他者に認められたい」という欲求を持つのは必然で、それは常に「他者からの拒絶」という危険性と隣り合わせである。
両親の霊が他人からも見える形で実在していた原作とは異なり、最後までそれが本当の霊なのか、ただの主人公にしか見えていない幻なのかは判然としない。仮に主人公の空想だとして、自分の頭が作り出した幻想の中でさえ自身を簡単に認められず、深い内省に落ち込んでしまうのは、彼の苦悩と孤独の大きさを物語っているようにも感じられた。


終始現実と夢を行ったり来たりするような構成で、現実と夢の境をあえて曖昧にしている本作。
どちらにせよ、他者の愛し方を知らずに中年まで生きてきた男が、その幻を通して愛を知るというのは、素敵な救いじゃないかと思う。遅すぎるということはないのだと。
手離しで褒められるほどいいかと言えば、そうではない部分もあるのだけれど、シンプルで重い対話劇として観れば、非常に興味深い作品だった。舞台なんかで観たいかも。
本作独自のラストも良かったですね。いろんな解釈の余地があって心に残る。



「シャーロック」での怪演が有名なアンドリュー・スコット。本作ではいかにもナイーブな中年という感じで、すごく親近感の湧く演技が良かった。
アダムとハリーの年齢が俳優と同年代なら、40代中盤と20代後半か。ああいうグイグイくる系の若者ってなんかいいですね。



僕はどうも「クィア」という呼び方に慣れなくて、なんだそれ?とずっと思っていたのだけれど、「クィアってなんかお上品な響きだよね。私はフェラとかしません、みたいな」というセリフ、妙にしっくり来て笑ってしまった。
クィアやLGBTQという言葉の響きには、「私たちみんなお仲間よ。エンパワメントしましょ」という、カテゴライズによる標語性が少なからず含まれていて、それは全然悪いことではないんだけど、「いや、俺はゲイだよ。クィアじゃなくて」と言いたくなる気持ちも、なんとなくわかるんですよね。
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