やべべっち

雪山の絆のやべべっちのネタバレレビュー・内容・結末

雪山の絆(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

スリラー物かと思って見たが「生きる」とは何かを問う作品だった。傑作。

ウルグアイ空港がアンデス山脈で不時着し行方不明になった16名が72日間奇跡のサパイブをした話。29名死亡、16名が助かった。

だが生き残った16名もそれまでの人生とは全く違う人生を送る事になったに違いない。この映画でもはっきり描かれている通りその16名も一度「死んだ」と言えるからだ。

これが雪山でなくすぐ探索し助けられる状況ならばこのようなドラマは生まれなかった。29名は何故死に16名は生き残ったのか。

生きるという事は「不条理」な事だらけである。何故ならば生きる事も死ぬ事も自分の意志で出来る事ではない。全ては自分を超えた蜘蛛の網のように張り巡らされた縁の結果なのだろう。

自分は雪山や海などの自然が大好きだ。だが本当に豊穣な自然の中で人は生きていく事は出来ない。自然に惹かれるのはそこに「死」そのものを含有しているからのような気がする。助かる為にチリ側に歩いていく途中、雄大な景色を見て「ここは天国のようだ」と呟かざるを得ない。

サバイバーどおしの会話で神の話が出てくる。ウルグアイはおそらくキリスト教なのだが仲間の人肉を食べざるを得ない状況に陥る。そこで出た一言
「俺は別の神を信じる。俺が信じるのは、ロベルトが俺の手当をする時、彼の頭の中に宿る神だ。ナンドが歩き続ける時、彼の脚に宿る神だ。ダニエルが肉を切る時、彼の手に宿る神だ。僕たちに肉を渡す時、誰の肉かを言わないフィトだ。おかげで食べられる。彼らを思い出さずに済む。それらの神を信じる。ロベルトやナンド、ダニエル、フィトを信じる。死んだ仲間もだ。」

これって全てのものに神が宿ると考える東洋思想ぽくないか、と感じたのでした。

生きる事=奇跡&強さ、死ぬ事=悲劇&弱さと捉えるのは周りの目線からの捉え方で恐らくは当事者達はもうそんな区別すら出来ない領域に行った事が描かれている。生きるというのは究極的には当事者の感情の揺れ動き、淡い愛という感覚にしかないのだ。

そんな事をつくづく思った。