本好きなおじぃ

52ヘルツのクジラたちの本好きなおじぃのレビュー・感想・評価

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
4.2
大分県のある漁村に引っ越してきたキコ。高台にある家に住むが、あるとき漁港で雨が降る中お腹が痛みうずくまっていると、小さな男の子が傘を差しだしてくれた。髪が長く薄汚れていたその子供を家に連れ帰ると、身体にはいくつもの痣が。問いただそうとすると逃げ帰ってしまう。
翌日、家に工事に来たことのある村中に子供のことを聞くと、食堂で働いているコトミの息子だという。コトミに尋ねるとすごい剣幕で、名前は「ムシ」だという。
その後ムシはキコの家を訪ね、キコはムシと一緒に過ごすことにする。
ムシの境遇を察したキコは、ある音を紹介する。それは、世界で最も孤独な鯨、「52ヘルツのクジラ」の鳴き声だった。名前は本人の希望から「52」とする。
そんなある時、家を東京時代の友人、ミハルが訪ねてきた。
ミハルは、突然東京からいなくなったキコを責め、赦し、そして受け入れる。そして、東京で恩人の「アンさん」と何があったのか、それを尋ねた。

キコは、実家では母親に愛されていると言われながらも虐げられていて、かつ義理の父親を高校卒業してから介護するいわば「ヤングケアラー」だ。
介護中に義父が誤嚥性肺炎を起こしたことから、キコは自殺しようとしてアンさんに助けられ、偶然にも中高の同級生・ミハルも同席する。
アンさんの勧めでキコは自立することを目指し、無事に自立できたとき、いつしか惹かれていることに気づく。キコはアンさんに気持ちを確かめてみたのだが。

原作は、町田そのこ氏の同名小説で、2021年本屋大賞を受賞した。
評者は原作も読んでいる(むしろドはまりして勧めまくった)のだが、原作の優しいトーン、ほの暗さもある月明かりの夜、キコや52やアンさんの苦しみ、これらをどう映像化するのかとても興味があった。が、現実は辛い。彼らの苦しみをまっとうに描こうとすると、グロテスクで、そんなひどいことがあるのかと受け入れがたい。配給会社GAGAの作品HPでも「フラッシュバックしそうな方へ」という相談窓口の案内ページがあるほどだ。
この作品のキモはこの正しく真っすぐ描こうとすると目を背けたくなるほど辛い現実がまだ世の中には存在している、ということなのだ。
ヤングケアラー、虐待、ネグレクト、トランスジェンダー、家庭内暴力など、現代話題に上がっている単語が随所に思い浮かべられる。この苦しみを味わったことの無い人(わたしもそうだ)が、少しでも理解する一助となりそういう光景を許さない、という決意をさせてくれる映画だったと思う。

演者もいい。
主人公のキコ役は杉咲花。暗黒の時代から明るくなったときまでの差の演じ分け、とりわけ取り戻して生まれた笑顔が素敵だ。
ミハル役の小野花梨も主人公と対照的に明るく接してくれてまっすぐ解決しようとしてくれている様子が好感。
最も驚いたのはアンさん役の志尊淳だ。イケメンの表情、というよりは最初からアンニュイ含みの表情であることがのちのちの伏線だったのだ。
ほかにも、余貴美子や倍賞美津子など、演技陣が強い。

映画を支配する空気管としての明るさと暗さのバランスを取るのがとても難しい映画だったのではないかと思う。かなりしんどい描写も多く、表現や見せ方はとても苦労しただろう。しかし見事に原作の世界観を余すことなく表現しきり、そのうえでまっすぐ社会問題に向き合ったこの映画は、来年の日本アカデミー候補として早速名乗りを上げたに違いない。