KnightsofOdessa

彼方のうたのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

彼方のうた(2023年製作の映画)
4.0
[強固であり希薄な存在である春さんのこと] 80点

傑作。杉田協士長編四作目。主演の小川あんは、これまでの杉田作品の女性たちとはまた別種の存在感があり、ちょっと映画の雰囲気に対して強すぎるのではないかと懸念していたのだが、それを逆手に取った異邦人として登場しており納得。彼女の存在のある種の特異性は冒頭から際立っている。駅のベンチで下を向いている女性に声をかけ、キノコヤまで案内してもらい、閉店だったので彼女の自宅に招かれる。また別のときは、電車の中から自宅まで男を追い続ける。雪子、剛、それぞれの自宅に上がり込んで、映画はそこを一つの拠点とする一方で、前作で重要だった主人公の自宅は一切登場しない。存在すらしないのではないかとすら思える。帰る家すら考えられないほど、彼女の存在は外世界を浮遊し続けているのだ。"あの日あの時あの会話"を撮るというワークショップに参加した主人公は、母親との何気ない別れのシーンを撮るのだが、重要な会話を窓越しに撮っているし、映画はそんなカメラを持って会話を撮る主人公を映している。この構造は後に剛の娘サキが映画を撮るタイミングで繰り返される。双方、不在となった母親を想う短編を撮る娘である。ここでようやく、彼女の存在は強固でありながら(それは小川あんその人の存在感に寄るところが大きい)、目を離したらいなくなってしまいそうな希薄さも兼ね備えていることにも気付かされる。その点で、彼女は前作における春原さんのような立場にもあるのかもしれない。個人的には母星探してる宇宙人にしか見えなかったが、宇宙人が消えるのは母星に帰れたという希望的な意味合いがあるのに対して、人間が消えるのに希望的な意味合いはないので、そこらへんが違いか。

ただ、これまでの作品に比べると、埋めるべき余白が多すぎる気がする。例えば前作では、作中の人物と同じように春原さんについて思いを馳せ、登場人物たちとそれらを共有する余韻があった。しかし、本作品では主人公のこと、主人公と剛や雪子との関係性、剛と雪子それぞれの過去といった考えるべきことが多すぎて余韻をあまり感じられなかった。何度も観ること前提なのかもしれないが、過去作に比べると忙しなさが目立った。
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