メシと映画のK佐藤

6月0日 アイヒマンが処刑された日のメシと映画のK佐藤のネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

描かんとしている事やテーマは良かったものの、話の組立・構成で損をしていると感じた惜しい一本でした。

多くのユダヤ人を強制収容所送りにしたアイヒマン。
本作は、そんなアイヒマン自身や彼に密接に関わった者ではなく、三人のユダヤ人を其々に描いた物語となっています。
中東系ユダヤ人である少年ダヴィッド。
アイヒマンの護衛を務める刑務官ハイム。
ホロコーストの生存者でありアイヒマン裁判の取調官でもあるミハ。
この三者の視点で物語は進行して行く組立になっているのですが、これが決して巧く収束している訳ではなかったのが実に残念。
一応アイヒマンの火葬と云う点で三者のドラマは交錯するのですが、ミハについてはいきなり自身が殺されかけたゲットー跡地に描写が飛んだり、その事によってアイヒマンの火葬計画に関するドラマがストップする等、思った程纏まった感じはしなかったです。
パンフ掲載の監督へのインタビューによると、本作のテーマは「記憶と歴史が共闘する事で物語が生まれる」と「その語り部たる資格は誰が相応しいか」との事。
アイヒマンの処刑に対して感じる重みが他の二者とは違う(…と言うか皆無に近い)ダヴィッドのみアイヒマンの火葬と云う歴史の一大事の語り部となる事が叶わなかったラスト(ウィキペディアに掲載される事も許されないと云うダヴィッドが、余りにも哀れ…。)に繋げる為に三者の視点及び比較が必要であったのでしょうが、もっと巧い具合に出来たはず。
ハイムとミハの役割を一人で担う人物を配置する事によって全体的にすっきりするし、オムニバス形式のドラマが一つになるカタルシスも出たと思うのです。
とっ散らかった印象を拭えなかった事が、個人的に大きなマイナスポイントでした。

土葬をすると、その土地がネオナチの聖地となるおそれがある。
火葬しようにも、イスラエルでは火葬が許されていない。
アイヒマンの遺体を遺族に渡す事は、絶対に許されない。
ネオナチによるアイヒマンの奪還や、ナチスに恨みを持つユダヤ人の蛮行は、阻止しなければならない。
これらの難題をクリアしなければならないと云う重圧、アイヒマン処刑と云う出来事が持つ意味・重みは、見事に描けていたと思います。
上述の通り、これで話の組立が巧かったら、言う事無しだったんですけどね…。