本作のメッセージは「存在させない」ではないか。
共同体とその歴史に対する意味が重すぎて、あえて、そうする。
「6月0日」という、存在しえない日付は、
それを雄弁に語っている。
この日に実際に行われたことは、
そもそも死刑のないイスラエルに存在してはいけないし、
その実行に、それがどの程度の関与であれ、関わった人間も存在してはいけない。
関わった人間は積極的に語ってはならない。
スケジュール的にもスペック的にもハードルの高い焼却炉の製造と
実際のオペレーションにおいて
少年は自他共に認めるように非常に大きな役割を果たした。
しかしその作業が終わった途端、理不尽に工場から追い出されてしまう。
それは大人の判断として少年の将来を考えた末での判断であったと思う。
この少年はやがて中年男性になる。
だらしない見た目もさることながら、
承認欲求をとにかく満たしたいという、
どこにでもいる小市民に変わり果てていたところが切なかった。
個から見た歴史と歴史から見た個のあり方の違い。
そしてそれぞれの正しさの違い。
「6月0日」に何をどのように行うかの決定において
ラビの見解も重要になっている。
イスラエルにおいては
法律、政治、宗教、民族、
それぞれの観点を踏まえた解決が求められる。
この複雑さについては、
一般的な日本人は鈍感であろうかと思う。
今後の国際関係を考える上でも
ホロコーストとユダヤについて最低限の知識を持っておくことは
マナーであると思った。
本作の前提として
移民への差別、就労の困難さなども含め、
重たい社会テーマが多いが、仕上がりとしてはポップになっている。
このバランスがとても良かった。
さて、本作の邦題に「アイヒマン」が入っているが、
アイヒマンそのものには
まったく重きを置いておらず、
ミスリードするだけであることに注意。