回想シーンでご飯3杯いける

パラダイスの夕暮れの回想シーンでご飯3杯いけるのレビュー・感想・評価

パラダイスの夕暮れ(1986年製作の映画)
3.8
映画を頻繁に観る見るように前に少しだけつまみ食いした程度だった、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督作品を久々に鑑賞。

ゴミ収集業で働く男と、スーパーのレジ担当として働く女性の、一風変わった純愛物語。第二次世界大戦では日本やドイツと同じ枢軸国側について戦い敗戦国となったフィンランドも、本作が作られた1980年代には日本と同じく経済復興を果たし豊かな国になっていたはずなのだが、本作に登場する人達の生活は必ずしも豊かではない。どこの国でも同じだと思うが、富裕層もいれば、貧困層もいるのが現実で、アキ・カウリスマキには後者を描きたい動機があったのだろう。

日本人はどうしても登場人物に感情移入を求める傾向があるのだが、本作にはそうしたニーズに応える意識は無さそうだ。可哀そうだとか、ましてやこれは実話ベースで誰もが見なければならない社会の現実であるとも謳わない。それ故に物足りなさを感じる人もいると思われるが、観客の気持ちを予め想定したような上げ膳据え膳型の映画に疲れた僕のような人間からすると、何とも言えない安堵を覚えたりもするのである。また、日本の昭和歌謡やグループサウンズを思わせるような音楽も、何だか親しみを感じる。

主人公の男性が、レジ係の女性との初デートに選んだ場所が、ビンゴを楽しむ賭博場みたいな場所。フィンランド語で淡々とカードを読み上げる女子従業員の声と、それを聞く無表情な2人の姿が何とも可笑しい。

フィンランドと言えば、NOKIAを輩出したハイテク企業国家のイメージもあるが、国民性としては恥ずかしがり屋で、その結果、顔を合わせずにコミュニケーションを取れる携帯電話の開発が進んだという説もあるそう。確かに本作に登場する人達は恥ずかしがり屋で無表情だ。