やべべっち

夜明けのすべてのやべべっちのネタバレレビュー・内容・結末

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

PMSに苦しむ藤沢とパニック障害に苦しむ山添の温かくも過剰にならない触れ合いを描いた映画。

自分の癌と照らし合わせて色々考えた。弱者と強者という事。病気への理解、コミュニケーションの取り方。病の生み出す悲しみと人生の意味。

まず言いたい事。病気はなった人にしかわからない。だからと言って「病気はなった人しかわからんよね」と距離を取りすぎるのも人間としてはどうか、と思う。山添は藤沢のPMSに対しググって調べたり、かかりつけ医に本を借りたりする。

これが大事なんよ!!

多くの人はそれすらもせず想像の世界で自分の経験の延長線上で病気を測ろうとする。そしてわかったふりをする。

山添は藤沢がマンションに来た時に藤沢が「お互い頑張りましょう」という言葉に対し「お互いっておかしくない?お互いの病気の事情は違うんだし」と突き放してしまう。

これ、凄くわかるんよ!!

自分が癌で入院した時に上司に骨折で長期入院した話しをされた時にムカついた。一緒にするんじゃねえよ、と。だけど山添はその時にPMSについて何も知らずに言った自分に気づいてしまうんよね。

人は人の事を完全に理解は出来ない。だけど何パーセントでも近づく事は出来る。この感覚は今でも自分が大切な事にしている事だ。

こういった病気になった人に対して「可哀想」という事は簡単だ。それは同時に残酷だ。可哀想といった瞬間、自分と他人を強者と弱者に分けてしまう。その瞬間相手の理解からもっとも離れた位置にいく。

藤沢と山添の触れ合いはいわゆる弱者の傷の舐め合いとは違う。不幸自慢や共感される事や依存しあう事を明確に拒絶している。お互いとの距離感を尊重しつつ不器用でありながら触れ合う事によって癒されていく。その時あるのは「共感」ではなく「共鳴」なのだ。

自分の人生を変えてくれるのは恋愛や先生、生徒のようにありがちな依存関係にはないこういったさりげないカジュアルな関係なのかもしれない。

藤沢と山添の勤める栗田科学で作成した移動式プラネタリウムの藤沢のナレーションは感動的なものだった。夜明け前が1番暗い。病院の闘病で1番辛かった時何よりも恐れたのは夜だった。漆黒の闇は自分の気持ちを潰していく。太陽の日が無ければ人は生きて行けない。だが闘病していた時の自分が見落としそしてこの映画に気づかされたのはだからこの夜の闇は偉大なのだ。夜が無ければ昼の明るさや有り難さを気付かないというだけではない。夜の闇は宇宙の広大さや全貌やその先にある光を見せてくれる。人間の感情とは無関係に宇宙は存在しそして密かに支え続けてくれている。

サブスクで観れる事ができるようになったらもう一度観たい。そしてアドラー心理学含めてもう一度感想を書いて見たい。そう思わせる傑作だった。