むらむら

ビヨンド・ユートピア 脱北のむらむらのレビュー・感想・評価

5.0
北朝鮮からの脱北を支援する牧師さんが、実際の脱北を手助けする様子を記録したドキュメンタリー。

びっくりするほどユートピアでない、北朝鮮の真実の映像。

北朝鮮のショッキングな現状と過去の歴史、脱北者の方々と、それを支援するキム牧師や暗躍するブローカーの実態が痛いほど伝わってくる。

本作では、キム牧師が、警察の手が迫ってきて脱北を余儀なくされた80歳のお婆さんを含む一家五人と、先に脱北した母親がなんとか脱北させようとする十代の息子の脱北を支援する姿が描かれる。

なんといっても、まず20年間脱北者を支援してきたキム牧師が凄い。

奥さんも脱北者で、これまで脱北に成功させた人たちは1000人を超える。支援活動の中で息子を亡くし、それでも、一人でも多くの人達に救いの手を差し伸べようとするキム牧師には尊敬の念しかない。ノーベル平和賞とかあげられないんですかね?

この作品でとても詳しく語られるのが、北朝鮮からの脱北ルートと、そのブローカーの存在。なんとか国境の川を渡って中国に来るだけで終わり……というわけではなく、そこからも、脱北者には、過酷な運命が待ち受けている。

「若い女や男は中国に渡ったら売り飛ばされることが多いが、老婆を含む一家五人には商品価値がないため、脱北支援者に買い取りの話が廻ってくる」

という前提にまず驚き。「地獄の沙汰も金次第」というけど、脱北者の運命はそれを地で行く。

さらに運が悪いと、中国の警察に見つかり、賄賂が通用しなかったら一発で強制送還。そのまま強制収容所送りとなる。強制収容所から生きて出ることは出来ない。

なんとか支援者との連絡を取り付け、ブローカーに金を渡したとしても、中国からベトナム、ラオスを経てタイに向かう国境ルートを、ひそかに踏破する必要がある。

遥かタイに至るルートを辿る一家五人の逃避行は、編集や撮影の緻密さも相まって、まるでサスペンス映画を観ているかのよう。

そして、「中国に次入ってきたら命はない」と当局から脅されながらも、韓国を発ち、ベトナム国境からタイまで一家五人に同行するキムさん、マジ天使。というか牧師。

キム牧師、一家五人と一緒に20時間とかかけて、国境の山越えとかしてんだけど、凄くない? これまで1000人以上に、こうやって同行してる、ってことでしょ? もはやシェルパやん。やっぱり、キム牧師に、ノーベル平和賞、2つか3つ、あげていいと思う。

あと、このキム牧師、めちゃくちゃ話が上手い。一家五人が国境の川を渡るためにするレクチャー、身振り手振りとイラストを交えて説明してる姿、「仕事できるマン」そのものだった。俺だったら「あー」とか「うー」とか言って、「むらむらさん、よく分かりませんでした」って脱北者に言われそう。

一家五人の中では、50代の夫婦と、その十歳にも満たないであろう女の子二人も健気で良かったが、もっとも印象に残ったのは八十歳の老婆。

八十歳なのに、川を渡って山を超えて、野宿して……って、超人クラスの体力を見せる老婆。

それなのに、北朝鮮への想いを問われると

「金正恩最高指導者は素晴らしい。国民がもっと頑張って、最高指導者のために尽くさなければ」

と、叩き込まれた主体思想を繰り返す。

老婆は、北朝鮮で「アメリカ人は全員、悪どい犯罪者たち」と教えられており、撮影クルーを前にしても、

「ここにいるアメリカは優しいけど、本当に信じて良いのか分からない」

と不安そうに答える。

本作では、どうやって教育段階から主体思想を人間に刻み込んでいくかも語られるので、こうやって無邪気に答える老婆の姿に、ゾッとさせられる。

さて、この一家五人と、母親の支援で脱北しようとする十代の少年がどうなったのか……それは作品を観ていただくとして、実際、脱北に成功するのはごくわずかでしかない。

特にコロナを経て中国の監視がAI画像認識といったデジタル技術の発展と共に厳しくなっており、ニューヨーク・タイムズ/朝日新聞GLOBE+の記事によると

「2019年に韓国に到着できた北朝鮮人の数は1047人だった。それが、2022年には63人に激減」

「(ブローカーに支払う)費用は、パンデミック前の数千ドルから数万ドルに跳ね上がっている」

という。 https://globe.asahi.com/article/14986397

引用した記事では、脱北に失敗し、中国で行方不明になった例も出ているので興味あったら読んでほしい。

キム牧師も、(この撮影の最後はコロナのロックダウン状況時)「何百人もの人たちが脱北を望んでいるのに、打つ手がない」と肩を落とす。

こういう作品を観るたびに、悲しくなる。

俺達に何が出来るんだろう。

とりあえず、能登半島に能登半島に突撃する迷惑ボランティアは、この映画を百回くらい観て、脱北者救出のために朝鮮半島に突撃したほうが、なんぼか世の中のためになるんじゃないか。

金正恩を礼賛する老婆に

「金正恩が食料をくれた?」

と諭す娘の姿が忘れられない。

ただ、なぜか全編にわたって出てくる、90年代に脱北したというサイボーグみたいなメイクのお姉ちゃんの話は、もっと短くても良いんじゃないかなぁ。申し訳ないけど、それ以外の、文字通り命をかけた家族たちの行動と比べて浮いてる。一人だけ英語だし。なんか意識高そうというか、「TED TALK」とか出てそう(※出てました)。

最後に、過去観た、近しい作品の感想のリンクも置いておきます。

トゥルーノース
https://filmarks.com/movies/93355/reviews/113249566
→北朝鮮の強制収容所をアニメで再現。アニメですら心が凍る酷い現実

わたしは金正男を殺してない
https://filmarks.com/movies/88832/reviews/99626726
→本作でも触れられる、金正男の殺害実行犯の話。普通の女の子二人を騙して実行犯に仕立て上げる北朝鮮工作員たちの姿は、闇バイトを勧誘する犯罪者と重なる

ミッドナイト・トラベラー
https://filmarks.com/movies/85061/reviews/119442250
→アフガニスタンから自由を求めてヨーロッパへ向かう家族の話。全編スマホで撮影された、リアルな脱出行。本作でもそうだが、スマホや赤外線カメラといったガジェットが、これまで観ることの出来なかった真実を世界に伝えてくれていることを実感

劇場では60ページほどの韓国政府が設立した韓国民族統一研究所の発行する「北朝鮮における人権侵害の実態」という冊子が配られ、読み応え十分。こういったオマケも含め、劇場で鑑賞する価値は十分にある作品だと思います。

これからマスゲームを見かけるたびに鬱になりそう。マスを描くのにあんなに無駄な努力をさせられてるなんて……。マスを描くのに……。

(おしまい)
むらむら

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