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夏の終わりに願うことのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

夏の終わりに願うこと(2023年製作の映画)
4.5
[日常を演じようとする人々の悲しみ] 90点

大傑作。2023年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。リラ・アヴィレス(Lila Avilés)長編二作目。前作『The Chambermaid』も中々面白かったが、完全に忘れていたので反省。7歳の少女ソルは母親と共に、父トナの誕生パーティを祝うため、祖父の家にやって来た。トナは恐らく末期癌のようで、大人たち全員が"恐らく今回のパーティで最後になるだろう"と認識している。誰もそれを口には出さないが大人たちはピリついていて、家の中の空気も重い。ソルはそんな空気を敏感に感じ取る。そして、いつも飾ってあった父の描いた絵が無くなっていたり、除霊師の老婆が家を徘徊していたり、怪しいセラピーのために部屋を暗くして祈らされたり、なのに父親には会わせてくれなかったりといった異常事態を前に、この絶望的に立ち込めた死の匂いを浴びて不安を確信へと変えていく。ソル以外にも親戚の子供たちがいて、彼ら彼女らはおおよそ子供らしく掃除をサボったりゲームしてたりしている。彼ら彼女らが子供らしければ子供らしいほど、気付いてしまったソルの存在は異質なものとなる(事実彼女は道化の格好をして祖父宅に現れ終盤でもそれを繰り返す)。この間、母親はソルを残して外出中で、彼女は完全独りぼっちで感情の整理をしなければならない。しかし、暴走したところで病床の父に迷惑がかかるだけなので、ひっそりと心に仕舞い込み、大人たちの思惑通りに何も知らないかのように振る舞う。その悲しみが頂点に達するのは、パーティ中に親子三人が再会する場面だ。三人が三人とも事情を知りながら、何事もなかったかのような時間を過ごそうと躍起になる。ソルも無邪気に父親と戯れるが、ふとした瞬間に真顔に戻ってしまう。この時間が長く続かないことを悟ったかのような、絶対に子供にさせたくない顔をするのだ。こんな悲しい映画があるか。ちなみに、親族を集めたパーティ、子供の視点人物、騒々しい家の中、不在の主賓というとチュルヒャー兄弟『ストレンジ・リトル・キャット』を思い出す。あっちがシステムの映画ならこっちはエモーションの映画だなと勝手に思うなど。

とはいえ、ソル以外の、特に大人たちはトナに向けた感情以外にも整理すべき問題がある。それは主に金だ。トナの絵が外されたのは恐らく治療費を捻出するために売られたのであり、介護者も無償の愛を注ぐわけではなく、叔母たちは苦心している。また、あまり登場しない老父は精神科医らしく、芸術の道に進んだトナとの仲はあまりよろしくなさそうで、パーティにも反対している。そういった人物たちが家の中を動き回るからこそ、安っぽいセンチメンタリズムから脱却しているのだろう。
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