本好きなおじぃ

怪物の本好きなおじぃのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

シングルマザーの早織は、息子・麦野湊とともに、火事になった近くのビルを見下ろしていた。
湊の学校での生活は、どことなく不安になる。あるとき、髪を突然切ったり、ふさぎ込んで学校に行きたくない様子をしていると思えば水筒の中には砂利が入っていた。誰かにいじめられているのではないか、と感じた早織は決定打を見つけられずにいるが、帰りの遅い湊を迎えに行った帰りの事件をきっかけに、とうとう担任の保利に事情を聞きに行く。
一応謝られるものの、保利はなんだか嫌そうで、周りの教員たちもどことなう何か奥歯にものが挟まったような表情と行動をしていた。
そして、台風が来た日の朝。ふと目覚めるとそこには湊はいなく、保利が湊を呼んでいて。


タイトルの「怪物」について、はじめて私たちがわかるのは、おそらく最初の方で早織が湊を探しに行ったときに、暗いトンネルで叫んでいた「かいぶつ、だーれだ!」だ。
どことなく不安げで、でもどことなく楽しげにも聞こえる(気がした)その声に、ある種の狂気性を感じてしまう。
そして、その後湊が起こす事件によってさらに増幅させる。

事実は小説より奇なり、と言ったのは、英国の詩人バイロンだ。
無論、この映画はフィクションではあるが、現実に迫るものがある。

この映画は、3つの視点を連続して流すことで、事実を後半にかけて明らかにしていく形式の映画だ。
1つ目の視点、すなわち早織の視点なのだが、その早織の視点で見た時の事実が最も印象に残るはずだ。
早織の正義感、周りの証言、つまり様々なミスリードがわたしたちを覆う。
さらに、2つ目の視点、これは保利の視点、そして3つ目の視点、これは湊の視点、それぞれの事実を浮かび上がらせながら、真実へと向かっていく。

合わさらないと真実が見えない。
いったい、この映画で規定したかった怪物とは、いったい誰の事だったのか?

その真実に向かっていく過程は、思わず身震いしてしまうほど恐ろしい。
人間、誰もが怪物な部分はあるだろうけれど、「怪物としての」子供の怖さも大人の怖さも、この映画で浮き上がってくる。
それは無邪気さであり、保身である。それは真剣さであり、保身である。真実を歪ませる力が、そこにはある。それも一種の怪物を生み出す要因だと、わたしたちは気づいていながらも、気づかないふりをしているのだ、と自覚させてくれているようにも思う。

そうさせてくれたのは、是枝裕和監督の腕のおかげにほかならない。