KnightsofOdessa

スパルタのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

スパルタ(2022年製作の映画)
3.0
[] 60点

どうやらベルリン映画祭でお披露目された『Rimini』の主人公と本作品の主人公が兄弟らしく、元々は一本の映画として企画していたものを途中で分けたらしい。しかも撮影してからコロナ禍に突入したので、公開できないことを演者に告げないままここまで来てしまったザイドルは話している。一方、独シュピーゲル誌の報道によると、素人の子役が搾取され、その保護者に映画の趣旨が十分に伝えられていなかったとされている。一応ザイドルは否定し、映画祭もそれを信じて上映しているのだが、意外とこの事実は周知されていないので、観客に丸投げではなく映画祭側からのアプローチは必要だったように思える。

物語はぺドフィリアのエヴァルドが、ルーマニアの辺境で少年王国を作るというもの。映画の最初の方では愉快なおじさんを演じながら少年たちの雪合戦に乱入し、罪悪感から泣きながら反省していたのに、少年たちの暴力的な父親などと出会って自身の行為を正当化できる要素を見つけ出してしまい、次第にエスカレートして線引きが曖昧になっていく。半裸の少年たちの遊びを半裸の中年男が指揮している異常な光景を実に湿っぽく嫌らしく描いているので、監督が否定してても告発は黒っぽいよなぁとは思いつつ、演者が被害を受けるのは論外なのを前提とした上で、映画はどこまで描けるのかを探求しようとする姿勢、見てはいけないものを見せようとする姿勢は興味深い。戦争映画は戦争を描いて戦争を否定するのだから、暴力映画は暴力を描いて暴力を否定するのは可能だ、みたいな言説は『ファイトクラブ』あたりが攻撃されると目にする機会も増えるわけだが、この"◯◯映画なら◯◯は描く"という理論はどこまで応用可能で、かつそこに犯罪行為を入れる場合はどこまで映像化できるのか、というは誰かが確かめる必要があるのだろう。堕胎映画なら堕胎を描くことを選んだオードレイ・ディワン『あのこと』、レイプ殺人映画ならレイプ殺人を描くことを選んだパトリシア・マズィ『Saturn Bowling』など、最近この境界線の位置を探索する作品をよく目にする気がする。

本作品が少なくとも『マンティコア』よりは成立していると思えるのは、エヴァルドが最も可愛がる少年とその暴力的な父親の関係性が、そのままエヴァルドとその父親の関係性に転写されていること、そしてラストで物語が続くことを暗示していることがあるからだろう。『Rimini』を観たらこの終わらない循環に答えが見出だせるのだろうか?
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