アー君

クライムズ・オブ・ザ・フューチャーのアー君のレビュー・感想・評価

3.8
全体的な内容としては実存主義を映像で実践しており、またアンチ・ユートピアにおける肉感的かつ被虐的な描写も多数あったが、作家として感覚のない痛みでしか自分を確かめられないことに同情から愛情へと気移りしそうになる。そして漠然ではあるが、今回は息子の作品(「アンチ・ヴァイラル」「ポゼッサー」)に雰囲気が似ていた。これは意識的にそうしているのかは分からないが、影響を受けたとは思わないが、もしかしたら逆に息子の製作に父親が今までに口を出していたのかもしれない。

この映画で描かれるのは臓器の異常増殖の執刀をパフォーマンスとして見せ物にする異形者たちを中心にした話であるが、クローネンバーグの一連の作品は身体性に関わる世界を言葉からの説明を不要とする映像だけで表現をしてきたが、やがてこのような未来が訪れるディストピアに対しての警鐘なのだろうか。しかし現在の医療技術は発達しており、動物実験においてバカンティマウスのような細胞移植も可能であり、ある意味で現在の医療機関は見世物小屋とさほど違いはなく、無為に生きるための現在進行形として機能している。

プラスチックを食べる子どもに否定的な意見はあるかもしれないが、すでに化学的に加工された添加物で侵された私たちの身体は環境ホルモンの影響が始まっており、次世代に生まれてくる人類の奇形化に歯止めは効かない。そして人工物質の支配において、フェティシズムが混ざった生殖行為の偏向も同様であり、現在は理想的な社会とは言い難い構造である。

ジェーン・フォンダ主演の「バーバレラ」にはそのようなシーンがあったが、未来のセックスはドラッグを飲んで、手を合わせてお互いの肉感を極力排除して性的快楽を得るのが流行りであり、未来において肉体と精神との関係とは根深いテーマである。

カンヌ映画祭では途中退出者が多かったようだが、これは推測になるがグロ表現というよりも、前にも述べたがストーリーに実態が掴みづらいのも要因にあるのではないだろうか。クローネンバーグの作品によくみられることだが、進行は終始緩やかではあるが観ている側は一体この状況は何なのか? どこか置いてけぼりにされてしまうところはあるが、それが良い意味での個性ではあるが、根本的な主題とは何かと問われても、漠然としていて具体的に答えられないのが本音である。

政府機関のある人物は肉体が極度に歪曲したピカソやフランシス・ベーコン等の絵画について少し話をする場面があったが、とりわけベーコン自身の証言は製作意図に深い意味はなく、鑑賞者に委ねているほどであり、突き詰めれば特に意味を求めるべきではないだろう。

人間の持つ自我は身体性の変化における相互関係から心理面でも特異な変容が生まれる場合はあるが、現在のSNSネットワークにおける進歩は、匿名性を大量に量産し、肉体を超越した精神のみの多面的な人格の変態が既に現れており、今後の人工知能の成長促進が物理的な肉体を自覚することで、感受性を学習して自我を確立していく事とは対極的であり、アイロニーともいえる。

[新宿バルト9 13:00〜]
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