春とヒコーキ土岡哲朗

映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝の春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

子どもは愛を糧に育つ。

「ひろしの回想」の5歳児版のシーンがある。
しんのすけが、今までひろしとみさえから「しんのすけ」「しんちゃん」と呼ばれてきた記憶を回想する。本人の記憶にはないであろう命名や赤ちゃんの頃から始まり、かわいがられて、心配されて、ときには怒られて名前を呼ばれる。その瞬間の振り返り。決して5歳児目線ではありえない、人生を振り返るという大人の行動。だから5歳児がこれを見て理解や共感はしないと思うんだけど、大人が見て「自分は子供の頃、周りの愛で育ったんだな」と思うことができるシーン。愛されていたことを名前を呼ばれるという形で表しているのも綺麗。愛があるから、他の何でもない“その子”に呼びかけている。それを表すのが、「しんのすけ」と呼ばれてきた瞬間の蓄積。

うっすら見えた悲しい展開の可能性。
名前で言うとその前のシーンで怖かったのが、しんのすけと電話がつながったひろしが敵にくすぐられて笑いながら「珍蔵くん!ひまわり!」と呼んでいる声がしんのすけに聞こえる場面があった。それを聞いたしんのすけの反応は、ひろしの心配をするだけでなく、何か戸惑いがあるというか、何とは分からない異物感を抱いて真顔になっているような印象があった。自分の名前は呼ばれずに、ひまわりと、自分の代わりに珍蔵くんの名前を呼んでひろしが笑っていた。それを聞いてしまったしんのすけはショックを受けたんだと思う。見ているときの予想ではそういう展開になっていくんだと思った。しんのすけが、「父ちゃんはオラ抜きで楽しく笑ってるんだ」と勘違いし、その誤解がとけるまで苦しいドラマになるのかと思った。そんな風には一切ならなかったけど、でも、しんのすけが自覚していないだけであのとき彼はその悲しさを感じていたと思う。でなければ、ひろしがくすぐられて笑うのが電話口のしんのすけに聞こえる意味や、しんのすけが「珍蔵くん!ひまわり!」というひろしの声を脳内でリピートした意味がない。そういうルートをうっすら想起させる作り手の意図があったんじゃないかと思う。