犬さんの映画レビュー・感想・評価

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僕のワンダフル・ジャーニー(2019年製作の映画)

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これはなかなか酷い。犬が何回も転生したところですぐヒロインに辿り着くから運命的な出会いが軽々しく感じてしまう。ヒロインが別れたばかりの彼氏に煽り運転されて不注意から空中で半回転するような事故を起こすの>>続きを読む

ラビッド(1977年製作の映画)

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『シーバーズ』より規模は広がったが、やっていることは一緒だし寄生虫のようなクリーチャーも不在だから微妙。感染者を見付けたからって警察が商業施設で躊躇なく機関銃を乱射するってどういうことだよ、案の定サン>>続きを読む

俺らのペンギン・ブーツ(1992年製作の映画)

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冒頭からふざけ倒していて笑う。しかし、豊かなカラーとレニングラードカウボーイズの同一ショットから過去作の中でも一番適正なPVらしく感じる。

悲しき天使(1991年製作の映画)

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『レニングラードカウボーイズゴーアメリカ』を鑑賞する前と後の違い。鋭利なリーゼントが壁に鋭利な影を写す優しい世界。

マッチ工場の少女(1990年製作の映画)

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ワンナイトで遊ばれた男から返信の手紙が届いて読むときに珍しくカティオウティネンの隠し切れない動揺した表情にカメラが向けられる。カウリスマキの慣例であれば省略されるシーンであろうが、あの瞬間から彼女の中>>続きを読む

コントラクト・キラー(1990年製作の映画)

3.0

作家性は一貫して変わらないのだが、寡黙、ショット、モンタージュがより一層洗練されたような気がする。恋をしたことで厭世的なレオの人生には希望が芽生えたが、殺し屋が医者から癌の宣告をされることで真面目に向>>続きを読む

レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ(1989年製作の映画)

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非日常的な存在感を示すレニングラードカウボーイズが映画の枠を超えて現実的に人気を帯びたことも頷ける中毒性。そんな彼らを牽引していたリーダーがペロンパーということが何よりも推せる。

アポロ13(1995年製作の映画)

3.0

宇宙で緊急事態が発生してしまい管制センターの面々と協力して何とか地球に帰還させることを目指す、という流れが相似している『オデッセイ』を想起させる展開。おまけに重要な場面によるダクトテープの活用まで一緒>>続きを読む

偽牧師(1923年製作の映画)

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子役のイタズラが可愛らしくて好き。保安官の粋な計らいで終わらず、メキシコの地に踏み込んだ瞬間に銃撃戦が始まって慌てふためくチャップリンが愛おしい。

担え銃/チャップリンの兵隊さん(1918年製作の映画)

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キネティックタイポグラフィではないが、オープニングのタイトルバックが洒落ていて格好良い。塹壕から少し出して飛んで来る銃弾で瓶の蓋を開けたり煙草に火をつけたりする笑いの変換が凄い。何だか『独裁者』のパイ>>続きを読む

犬の生活(1918年製作の映画)

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前半のチャップリンが無敵の人すぎて笑う。犬が走ったり咥えたりするだけでなく、尻尾の振りで太鼓を叩かせるのがユーモアに長けている。

真夜中の虹(1988年製作の映画)

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ペロンパーとの同居なら牢屋の生活も悪くないと思える。『脱出』のボガートとバコールのようにスマートにはいかない煙草とマッチを投げるアクション。手元や破損のカットのみでリアクションは省略しておきながら車の>>続きを読む

ワイヤーを通して/スルー・ザ・ワイヤー(1987年製作の映画)

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レニングラードカウボーイズのPV。『ロッキーⅣ』より俄然良い。PVだからかカウリスマキらしくなくヒロインが綺麗な気がする。

ハムレット・ゴーズ・ビジネス(1987年製作の映画)

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『罪と罰』は良かったが、今作は全然ノレず。ただ、ピルッカペッカぺテリウスが銃口を向けられたときにチョップではなく格好良く蹴りで対処するが、その後にステレオで頭をぶっ叩くアクションが良い。

ロッキーVI(1986年製作の映画)

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レニングラードカウボーイズのPVらしいが、バンドに対して無関心なので本当にただのふざけ倒したパロディだなーという感想でしかない。

罪と罰(1983年製作の映画)

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長編処女作ながら既にカウリスマキの作家性が備わっていて感心するが、無機質なフィルムノワールが故に緩いシュールな笑いというよりは地味にブレッソン的なソリッドが漂う。しかし、ラストでマルックトイッカが自首>>続きを読む

ディア・ハンター(1978年製作の映画)

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結婚式、戦場、帰還後という戦争の前と後にも重きを置いた三部構成。仲間内で楽しんで鹿狩りをしてピアノの旋律に哀愁的な雰囲気になったのも束の間、助走もなくジャンプカットでベトナム戦争になるのだから脳が叩き>>続きを読む

沓掛時次郎 遊侠一匹(1966年製作の映画)

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『男はつらいよ』以外で渥美清を拝見するのは初めてかも、と思いながら裏切らないコメディリリーフが作品の緩衝材として際立つ。殺陣のシーンはどれも構図、カット割、血飛沫が美学として存在しており、ラストで萬屋>>続きを読む

ゴジラ(1954年製作の映画)

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『シンゴジラ』はフォーマットを模倣していただけなのかって思えるほどに徹底的な空想科学。『ゴジラ−1.0』でビルの屋上から実況生中継していたのも本作のオマージュに過ぎないという。且つ、両作になくて本作に>>続きを読む

ロー・タイド(2019年製作の映画)

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過去の事件を写真のモンタージュで簡潔に見せたり、懐中電灯とパトカーの赤色灯が森林を無造作に照らす画作りなどスタイリッシュに撮れる監督ではある。アレックスニューステッターがマルコムマクダウェル的な狂気を>>続きを読む

チャップリンのニューヨークの王様(1957年製作の映画)

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風刺どころか赤狩りや当時の文明に対する露骨な社会批判であり、『ライムライト』から五年の沈黙を破ってでも映画で語りたかったチャップリンの気概は買うが、やはり年代順として考えると前作で綺麗に有終の美を飾る>>続きを読む

ライムライト(1952年製作の映画)

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初期から順を追って鑑賞してきたが、スラップスティックの喜劇王であるチャップリンの固定観念というものが邪魔になる懸念など杞憂に終わるほど彼は正真正銘の俳優として演じている。笑いの表裏一体として能動的に涙>>続きを読む

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)

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お国の為に命を捨てることが美徳とされる思想を抱えて死に損なった神木隆之介が自身のトラウマ(ゴジラ)と対峙して美化に見せる欺瞞性。『シンゴジラ』が陸なら本作は海ってことで、焦らされることなく登場したゴジ>>続きを読む

チャップリンの殺人狂時代(1947年製作の映画)

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今も尚、様々な文化に於いてオマージュとして引用される有名な台詞が際立っていることやモデルとされるシリアルキラーの青髭ランドリューよりも純粋にチャップリンのフィルモグラフィを通じて役割も構図も脚本も平面>>続きを読む

独裁者(1940年製作の映画)

3.0

どんな場面/状況でも無言でスラップスティックを貫くチャップリン像が好きだったが、今作はテーマがテーマなだけにラストのメッセージ性を存分に反映させた声高な演説が胸を打つ。他の俳優では許されない、得体の知>>続きを読む

悪は存在しない(2023年製作の映画)

4.0

水も仕事も上から下に流れる摂理/構造の中で、勧善懲悪から免れて悔悛したとて搾取という不均衡が足を踏み入れれば相容れることはなく静かに予想外の幕引きを迎える。これが他の監督であれば芸能事務所の人間は村の>>続きを読む

モダン・タイムス(1936年製作の映画)

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象徴的なベルトコンベアからの歯車に巻き込まれるシーンは改めて面白さよりも凄さに感心してしまう。その後の変態ネジ閉めおじさんで素直に笑ってしまうが、デパートのローラースケートやレストランの配膳とか緻密な>>続きを読む

街の灯(1931年製作の映画)

4.0

ドラマの質が格段に上がったことは明らかだが、それ以上にラストで見せるチャップリンの心の底から溢れ出る歓びと感動の表情が堪らなく良い。あれだけ身投げやボクシングのシーンでいつも通りのコミカルな身体表現で>>続きを読む

セイント・フランシス(2019年製作の映画)

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フランシスのファインプレーは好転だが、ブリジットの言動には引っ掛かる点が幾つか。少し目を離した隙にフランシスが池に落ちてしまったところを急いで助けてくれた通行人に対する粗雑な対応や公園で授乳をしていた>>続きを読む

リング(1927年製作の映画)

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多重露光で焦燥感を演出したり、おっさんと握手しているシーンからオーバーラップして彼女の腕にアームカフを嵌めるシームレスな編集がヒッチコックらしい。

ストーリー・オブ・マイ・ワイフ(2021年製作の映画)

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『心と体と』が傑作だったので密かに期待を寄せている監督の一人。冒頭から耽美的な撮影に見惚れてしまうが、流石に脚本が普遍的であり長尺。相手の素性をよく知りもせずに第一印象の容姿や感覚で交際(結婚)に至る>>続きを読む

ロボコップ(1987年製作の映画)

3.0

1〜2発で殺すなんていう生温い描写が一切なく、腕を吹っ飛ばしたり蜂の巣にしたり有毒廃液に突っ込んで溶けたりと凄惨な描写が多くて手堅い。殺したはずの警官が人造人間と化しても尚「殺してでも逮捕する」の印象>>続きを読む

サーカス(1928年製作の映画)

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チャップリン自体は変わらずドジやっているだけだが、観客が配置されることで「笑われる」ことから「笑わせる」曲芸に昇華するメタ的な構造。

チャップリンの黄金狂時代(1925年製作の映画)

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器用だからこそ不器用に見せれるフィジカル。個人に焦点を当てずに点と点を線にして描くので全体的に弛緩している印象を受けるが、ラストの傾く山小屋はセットそのものを傾けている?のもあってドリフ的。

巴里の女性(1923年製作の映画)

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出演せず監督に専念するとなれば喜劇ではなく男女の悲劇を描くという姿勢が既に格好良い。『サニーサイド』同様に牧歌的なラストで終幕するのだが、チャップリンの田舎風景には差し込まれる陽光や豊かな緑など、僅か>>続きを読む

チャップリンの給料日(1922年製作の映画)

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エレベーターを利用した縦構図や逆再生による編集技術が冴えている。チャップリンのコミカルな動きが面白いのは無論、現場監督や細君など受け手のリアクションが豊富なのもコメディとして重要な役割。

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