ついこの間、北朝鮮を川向こうに望み、映画を観たその日にイスラエルは最終戦争を始めた。我々は関係を諦めてはいけない。そして偶然、川崎に向かう電車内でこれを記している。
この映画の支柱は劇/映画の構図が揺らぎ、ジーナ・ローランズが演じているのか否かがわからない点にある。つまりリハーサルを何回も観ながらも、映画の観客が物語の進行を予想できないという点で劇の観客と同質にな>>続きを読む
「ぼくが望んだのは、生以前の虚無と以後の虚無を内包しているような書物を創り上げることでした」―ル・クレジオ。
そういう映画でしょこれ。
狂気と性と罪のテーマはヒッチコック的でもある。ここまでタイトにつくってるアルトマンはみたことないかも。シネスコでないといけないショットをかなり撮れてる。『ロング・グッドバイ』で披露されることになるあの>>続きを読む
これは狂信の、革命の、挫折の、混乱のブラジル西部劇だ。グラウベル・ローシャの独自の語りと現実が混交していく感じはかなり好き。
ショットがガチガチ。
今福龍太『ブラジル映画史講義』必読。
疎外の蔓延が現代。「情」の回復のために彼らは街を彷徨し、対話する。深いところでやはりツァイ・ミンリャンとつながっている。背景に屹立する無機質な高層ビルは空虚な時代の象徴だ。
そしてチチは全映画のヒロ>>続きを読む
エイゼンシュテインやクレショフらが打ち出したモンタージュ理論は、ジガ・ヴェルトフの手によって最もラディカルに結実した。
撮るという欲望。映画の欲望の根源、それは動くもの=運動をフィルムに焼き付けるこ>>続きを読む
クロスカッティングがいい。コメディの基本。誰もが熱狂するものはなにか、チェス=金=労働=?。
ロケ撮影なのもいい。
真に革新的な映画とはこの『市民ケーン』を言わずして何を言うか。すべての演出が新しい。
荒廃したベルリンから生まれた突然変異。世界が酩酊している。初期フェミニストが進んで煙草を吸ったように、彼女たちも当然の権利として酒に酔う。ラディカルな女性解放映画。
ファスビンダーと通ずるところがあ>>続きを読む
時代の宣言と終局の予言。川津祐介の空虚な眼と打ちひしがれた精神は青春の残酷な様相を呈す。60年代映画のペシミズムは革命の失敗を内在していたのかもしれない。大島渚然り吉田喜重しかりゴダール然り。ハリウッ>>続きを読む
魂の彷徨。時は流れではない。過去と現在と未来が全て入り混じり、混濁した意識に見せるのは途方もない生。主人公がバイクを降りて佇んでいたあの川はステュクスだ。そして時間の不可逆性は完全に否定される。
前>>続きを読む
街全体が瓦礫と化す時、人々は洪水のネズミのように、亡命せねばならない。そしてその直前に訪れる空漠において人は過去と向きあったのだ。
ベンヤミンは言った。
「彼らは何ものをも持続的とは見ない。しかし、>>続きを読む
虚構の世界=ハリボテランドに囚われた人間たちが真の世界への超脱を図る。ショービジネスが祝祭のシミュラークルとしてのみ機能し、そこを臨死体験によって脱出する。
シネマスコープでのみ許されるショットを完>>続きを読む
ジャン・アルチュールの白い服はヘルツォーク『フィツカラルド』のキンスキーを思い出させるだろう。コロニアルなコンテクストがあるのは宣言、命名、探検からして明らか。
にしてもこの映画はまさに先輩らが言っ>>続きを読む
強盗からのダンスクラブへのつなぎが本当に上手いしかっこいいし好き。あの場面で言及された映画は『パルプ・フィクション』で、終盤のサントラ売りのシーンでも密かに示されている。
彼らと同じ19歳。
中国の現代化と同時的に生きてゆく青年ら。トラックに乗り込み各地を巡業する冴えない劇団は、現代を当てもなく彷徨う人間たちの姿と重なるではないか。電気も通ってなかった村に、テレビが置かれ天安門事件を報じる>>続きを読む
驚くべき傑作だ。対象を弄ぶかのように肉薄と遊離、鳥瞰を繰り返すカメラによって酩酊する革命的群衆。クレオールのダンス、燃える平原=ファン・ルルフォから狂乱の大地へ。
キューバ革命史のみならず、この映画>>続きを読む
素晴らしい。ロードムービーのひとつの極点に至った作品だ。旅における奇跡と退屈のキメラが輝き、カーニヴァルを誘う。あらゆる乗物がつなぐ人々の関係は、はたしてこの時代においても可能か。
米映画のロードム>>続きを読む
最初の警察署のシークエンスの完成度が高すぎる。ガラスの仕切りを利用して、すべての主要な登場人物を同時に(質的な時間において)説明してしまう驚異的な演出。ある種、ニコラス・レイの美学が結実していた。>>続きを読む
いやあスコリモフスキに脳を撹乱された。衝撃的な映画であることに間違いはない。そして動物愛護のためなんかに撮られた映画でもないことは確かだ。仮にそういった旨があるとすれば、それは副次的なものであって本筋>>続きを読む
冒険スペクタクルからドープ・デュオニュソス。久しぶりにここまでわけわからん映画みた。映画製作の映画なのかもね。
サウンドと長回しは本当に素晴らしい。『甦る相米慎二』を読まねば。
ひとついえるのは『>>続きを読む
変態であり天才、相米慎二。薬師丸ひろ子扮する美少女JKがいつの間にかトニー・モンタナになる話。
女子高生がヤクザの世界に、という時代を先どったペドフィリア的異世界転生。性を知らぬ少女は仁義なき戦いと>>続きを読む
閉鎖空間に普遍的寓話を立ち上がらせるのがファスビンダーのスタイルだ(そういった意味ではヴェンダースとは対極の映画作家かもしれない、徹底的な閉鎖を持って人間を問うファスビンダーと、無限の広がりを持って問>>続きを読む
ブレッソンの独自の美学はここに極まれた。映画における空間的表現は虚構に過ぎず、彼はそれをブリュイ=音でつくりあげた。しかし、どうしてブレッソンの音はここまで響くのだろう。
ドストエフスキー的なんだよ>>続きを読む
恐怖分子とは誰か。女か男か、政府か、映画監督か。台湾というヘテロジニアスな場に産みつけられたポリフォニックな映画。
急速な発展と疎外。過去の記憶が未来へ踏み出すことを妨げる。あのカットバックはめちゃくちゃ凡庸なんだけど美しい。
昔ながらの風景と高層ビル群が同じ景色に見えるのは80年代日本も同じだった。もう日本には>>続きを読む
傑作。レオス・カラックスによる映画史。自身のフィルモグラフィーと大文字の映画史を同時に描く。演ずることと撮ることの意味するもの。
極めて自己言及的。映画を見つけたカラックスとラヴァンについての映画。>>続きを読む
台湾新電影の先駆け。四本ともそれぞれ面白いが、やはりエドワード・ヤンの作品は格別。
『指望』は最も優れた短編作品の一つだと思う。F.Jinshiの論も参照。
ヌーヴェルバーグの監督たちは優れた映画作家であり、優れた批評家でもあった。ロジエも例外でなく、『軽蔑』とゴダールに関して鋭い観察をしている。
「『勝手にしやがれ』以来、ゴダールは現代の女性を映し続け>>続きを読む
BBよりピコリとゴダールに会いたい。
「彼女はブリジット・バルドーを長く演じている。」
青春、若さはすでに終わることが宣告されている。にしても眩しすぎる夏。
ロメールやギョーム・ブラックが参考にしたのは間違いないだろう。
いくつか目をみはるショットがある。古典的というかグレミヨンやエプ>>続きを読む
喪失の香りを漂わせたヴァカンス映画は最高だ。吉田喜重『ろくでなし』のワンシーンにもあったようなどうしようもない夏。
イタリアの海沿いの小さい街でヴァカンスしたのを思い出す。チェッレ・リーグレという街>>続きを読む
釣り竿からすべてを暗示してしまう優れたファーストショット。物語上の筋書きのみならずフレーミングについてのステイトメントでさえある。ルノワールはフレームに捉えるのをあえて拒否した。アンドレ・バザンの思想>>続きを読む
ジャン・ルノワールの人間礼賛はここまでやるのか。この頃においてすでにフレーミングがかなり確立されてる。窓や扉を一枚噛ませての空間的フレーム。これが『ピクニック』の天才的なショットで結実する。
いまの>>続きを読む