哲学における廃墟としての風景と建築物。歴史性を静謐に漂わせている。白い服の貴婦人のシーンはジャン・ルノワールじゃないすか。
この映画は日本では撮れないんだな。スクラップアンドビルドで歴史性を擲った都>>続きを読む
最もプリミティブな形態としての映画。過激な実践が究極的な洗練を生み出している。虚飾の劇性を捨てた映画の力。
光=リュミエールを捉えるセザンヌと、全く静止しながら動き続ける世界を捉えるキャメラ、ストローブ=ユイレ。たぶんセザンヌの眼はキャメラとして機能している。
挿し込まれるフィックスショットは簡単なようで>>続きを読む
売れ線を作ってみたウェルズ。大戦直後らしいテーマ。『市民ケーン』でよかった感はある。しかし、過去への執着という主題はここにもよく表れている。
暗さはあまり感じられない。『市民ケーン』冒頭の映写室のシ>>続きを読む
この驚異的な暗さはウェルズ作品の中でも際立っている。霧の中の呪いのシーンから、映画中ほとんど明けることのない夜。
ヴォイスオーバーの多用は、フィルムノワールの手法と40年代映画として同時性を持っている>>続きを読む
鏡の映画。『13回の新月のある年に』も同様。アデナウアーの演説とW杯の熱狂。
なぜ黒人GIか。
話としては何もおもんないメロドラマ。問題はなぜ男たちがレーサーなのかだろう。速度への欲求は極めてマチズム的である。そのことはジャリや未来派、ヴィリリオが明らかにしている。
こりゃあカイエ派に叩き斬ら>>続きを読む
ベルイマンはここまで顔の映画を撮る監督だったのか。仮面を剥がしてはじめて顔が現れるという単純な構図が強い力を発揮する瞬間がこの映画のミソだろう。『ペルソナ』っすよ。そのペルソナはキリストのそれでありま>>続きを読む
マチズムが直接、凶暴性と愚かさへと転じる。対立構図が次から次へと転じて、辛うじて民衆の勝利まで繋がる。誰も彼も死に、問題が棚上げされただけだが。
屠殺場のシークエンスに顕著だが、階級差を吹き飛ばす労>>続きを読む
この流れはカネフスキー、クリモフ、マルホウへと繋がっている。戦争の混乱期にひとりで幼年時代を生き延びねばならなかった子供。
形式の面でいうと、かなりタルコフスキーぽくない。よく話すし、キャメラもよく動>>続きを読む
彼らの疎外は深まるばかりだ。アメリカのrural areaは広大なlandが地平線まで続くのみで、どこか殺伐としている。夏の陽射しに晒された孤独者は自らの姿を見ることさえ拒否し、像の破壊を試みる。この>>続きを読む
ここにきてスコセッシはある映画史に決定的な作品を残した。それは無論、西部劇である。アメリカ史上の深い闇、オセージ族連続殺害事件に修正西部劇の終着として真っ向から取り組んでいる。黙殺されたオセージの人々>>続きを読む
この映画の会話シーン、すなわち脚本はハリウッド映画で最も優れている部類だろう。しかし、このセリフ過剰は1940年の戦争前夜という不安に包まれた世の中で、ある種の逃避的狂騒という心理が表出しているように>>続きを読む
資本主義の原初の駆動、その拡大。カエサルの時代の経済をマルクス主義的に再確認する作家と同時代人。革命の普遍性。都市と郊外、彷徨と対話の関係で考えたい。
あじさいとまたもや水のイメージ。
映画における「不在」を取り扱っている。絶対的なカメラの視点と切り返しショットの放棄。セリフ過多と物語の質の空疎の対比。
水のイメージが気になる。
序盤のトラヴェリングがかなり良い。ゴダール『ウィークエンド』はこの発展型として観れる。劇中劇が劇中劇外世界へ影響を与えるのは様々な映画がやってるが、何かが違う。ファスビンダー瞬殺。
再構成された新たな歴史物語か。戦後ドイツ史のミニマムな顕現。
ブレヒト「暴力の支配するところでは、暴力のみが助けとなる。」こうした暴力の正当性を問いながらも、彼らは終始映画を撮り続けていた。
下らぬ官僚らの軍備に向けた行動、日常。凡庸な悪?徹底的に馬鹿にしてる。
日本はどうかな。
冒頭の窓からのショットにやはり驚く。現代の性にまつわる病理、疎外をよく映してる。家主に限らず、登場する人間、そして観客も何かしら欠陥がある。
産婦人科の待合室のシークエンスが物凄い。全体として窃視≒>>続きを読む
フィルムの断絶が明白に暴き出されるのと同時に、彼女たちがそれを軽やかに飛び越えてしまうところにこの映画の真価がある。シナリーや時間を破壊し尽くすのだ。そしてマルチフレームに身体を解体されても彼女たちは>>続きを読む
西部劇における窓と扉の重要性。フレーム内フレームは狙撃者の視線と重なる。
ダスティが物語の装置としてのみ動かされてるのが気になる。
かのサミュエル・ベケット。キャメラの視線に晒されること、視線の暴力性。ヴァージニア・ウルフの短編を思い出した。
ドゥルーズがめちゃくちゃ褒めてる。
徹底的に視線にこだわってる。サミュエル・フラー『最前線物語』を参照。よく考えたらたしかにこれは「ウェルズ」以前だ。まあそんなもん存在しないわけだけども。
フォードにおける地平線の重要性がかなりわかる>>続きを読む
コロニアルな観点でかなりの強度がある。白と黒の意図せざる記号的意味と上から下への権力構造。そしてこれを撮る暴力的なキャメラ。
縦を見事に押さえながら、放り投げられる銭とその下に蠢く貧民という運動を捉え>>続きを読む
こういった映画を撮るのが最も難しい。そしてリュミエールは構図の失敗を一度も犯すことがない。まさに天才というべき男たちだろう。モノクロームの映画の真髄を見せつけてくれるのだ。
映画史への言及がいい。ウ>>続きを読む
世界というと大仰かもしれないが、我々人間を取り巻く状況はこの映画が示すとおり不明のものばかりだ。それをわざわざ解き明かすまでもなく、生きていかねばならない。だから彼女たちは中断を重ねながらも演劇を全う>>続きを読む
ウェルズの画面の深さは法廷のシークエンスで特に生かされている。そして多重露出はあの伝説的な鏡のシークエンスで極まってる。
忘却への希望を感じる。『気狂いピエロ』とは大違い。
特筆すべきは構図と色彩。驚くべきショットがいくつもあるし、フレンチフィルム・ノワールの源流であるにもかかわらず以降のそれと比べると特異な点が多い。フレーミングにルノワールっぽさを感じるシーンもある。静>>続きを読む
子供部屋という現実界とは異なる磁場が発生している場から抜け出せなかった彼らの行く先には、死のみが待ち受けている。フロイト的か、インセスト的な伝統文学かはさておき、テーマとしてもかなりポレミカル。コルタ>>続きを読む
狡猾なデマゴーグに煽動され沸騰する民衆。疎外と密告の連鎖、悪に負けたヒーローと、真の解決者≒ダーティ・ハリー?。「カラス」は18世紀の「カラス事件」と関わりはあるだろう。
ラストショットは『用心棒』>>続きを読む
歴史が一瞬の視線の交錯ですれ違ったあのシーンはやはり素晴らしい。そしてひとりの詐欺師は歴史を混濁の渦へと導いていく。
イスラエル問題を考える上でも重要。
闘争は続いている。「あのこと」にしないために、こことよその接続に努めなければならない。
べニングは風景、街路、建築が絶対的な沈黙を守りながらも、ある時雄弁に語りだすことを知っている。この映画で最も長いカットであろう真っ白い煤煙を吐き出す煙突の姿は、得も言われぬ悲しみを湛えている。
アメ>>続きを読む