イメージ通りの「幕末」の空気。そわそわして腰が落ち着かない世情を生き抜く市井の人々の生き生きとした様子!
従来の権威や社会秩序が音を立てて崩れ始めた世の中。知恵と甲斐性さえあれば生きていける、本当の>>続きを読む
生きていくのはたいへんだ。時間なんていくらあっても足りやしない。
なのにどうして貴重な時間を削ってまでして映画を観るのか?
現実逃避?暇つぶし?
そうじゃない。所詮は「作りもの」のはずの映画が、>>続きを読む
現代を生きる我々が当たり前のように享受している「理」(理性、論理、理屈、義理・・・)。ここでは「理」はなんの力も持たず、圧倒的な暴力の前に完全に屈服している。唯一それに対抗する手段は「金=Money」>>続きを読む
序盤から中盤にかけて、困ってしまうほどテンポが悪い。二人を聖職者と思い込んだ周囲の人物との会話のズレで笑いをつくるのがこの手の作品の真骨頂のはずだが、気の利いた切り返しが全然出てこない。ショーン・ペン>>続きを読む
何か酷いことが起こりそうな不穏なフラグか至るところに立っているのだが、そういった要素に安易に頼って過度にドラマティックにしていないところが素晴らしい。かと言って甘々のウェルメイドというわけでも全然なく>>続きを読む
素晴らしいのはオープニングシーンだ。あまりに無意味な行動でブチ込まれる。わずか数分のシーンで刹那に生きる主人公のパーソナリティを見事に表現している。
束縛を嫌いひたすら自由を求めながら、けっして悲壮>>続きを読む
演出やセリフ回しにどこか現代っぽくない(悪く言えば古くさい)雰囲気が漂っているが、それが鎌倉というロケーションと相俟って純文学的な印象につながり効果を生んでいる。話自体はけっこう下世話なんだけどね。>>続きを読む
またもや宮川カメラの凄さを思い知った。女体がもつ「艶」の質感・色彩の映像表現としては最高峰ではないだろうか。ただ、たとえ女郎蜘蛛が無かったとしても同じ行動したんじゃないの、この人たち、と思わせてしまう>>続きを読む
この映画の大きなポイントは母親の描き方だろう。明るくてノリが軽くて、子供たちが「大好きなママ」。「子捨て」話というストーリーから想像されるオーソドックスな母親像からはおよそかけ離れている。この造形には>>続きを読む
エンターテイメントのツボを確実に押えていくキャメロンのストーリーテリングはやっぱり凄い。一方で、前作が好きだった人には評判が悪いというのもよく理解できる。
最も素晴らしいのは、なんといってもやはり”>>続きを読む
劇中の女たちがつく嘘が、映画という「作りごと」がみせてくれる素敵な嘘と重なっていく。脈絡なく始まる歌も、ありえないほど色鮮やかな邸内の装飾も、その世界の非現実性を際立たせる。虚構に酔う2時間、これぞ映>>続きを読む
司葉子も加山雄三も、生真面目さが滲み出ているから良い。無器用に、真面目に悩み苦しんでいるからこそ切ない。
十和田の短い夏の如く、一瞬だけ燃え上がった悲恋。ラストへの展開のさせ方はあまりに残酷・・・や>>続きを読む
海があって太陽があって、花が咲いて風が吹いて。男がいて、女がいて。年をとっても男は男で、女は女で。男は女を愛して、女は男を愛して。歌って踊って、食べて飲んで。これ以上何を望もうというのか。
腹を立て>>続きを読む
黒澤自身が失敗作と認めている作品らしい。確かに主張がボケていてわかりにくい点も感じたが、「失敗作」でありながら、ここまで見応えがあるというのはさすがと言うべきか。
なんでも、もともと菊田一夫の原作で>>続きを読む
ハイン・S・ニョール渾身の熱演に比べ、サム・ウォーターストンの演技の大味なこと。ここにもっと良い俳優を配していれば、映画全体の印象がまったく違っていたろうに。
クメール・ルージュが支配する村落を命か>>続きを読む
ポルノではありません、一応。
人間に潜む動物としての性を、北大路の黒光りした弾ける肉体で表現。バイクと一体となり咆哮し怒り狂う姿に文子さんはクラクラ。失笑を禁じえないシーンも満載だが、一見の価値はあ>>続きを読む
やはり’61年のワイズ/ロビンズ版『ウエスト・サイド物語』と比べてしまうのだが、作劇構成はほぼ同じでありながら、’61年版が軽快な寓話性を帯びていたのに対して、こちらはリアリティを追求した分やや生々し>>続きを読む
やはり手加減なしで作られていればその本気さが画面から伝わる。手緩く作られた凡百の作品とは比べ物にならない見応え。主演級はもちろんのこと脇に至るまで監督の本気に応えている。特に中村優子、彼女のことは忘れ>>続きを読む
階段の場面など明らかな「見せ場」だけでなく、'30年代を再現したシカゴの町並みを人と車が行き交い、そこにモリコーネの音楽が鳴り響く、そんな何気ないシーンがゾクゾクするくらいかっこいい。
全体的にはカ>>続きを読む
時代を下りこの頃になると、極道の世界も政治色を帯びる。渡瀬恒彦を仕置きした後、菅原文太は「のう、今の時代はよう、相手を取りさえすりゃあ勝てる時代じゃあらせんので」と諭すのだ。前二作品とは種類の違うドラ>>続きを読む
社会全体が抱いた「社会主義」という共同幻想に、家族の中で母と子が描く小さな共同幻想が重なっていく。この映画は、幻想に踊らされた彼らを笑ったり断罪したりはしない。あくまでまなざしは優しい。
一方的な息>>続きを読む
セリフの三分の一くらいは何言ってんだか聴き取れないが、そんなことはどーでもいい。とにかく、この大らかさ、明るさ!
いちばん好きなのは、父ちゃんを探して美恵子が二日も家を空けてても、家族の誰一人心配す>>続きを読む
「ワシが格好をつけちゃりますけん」
男たちは義理と面子に拘りを見せる。一作目に比べると「仁義ある」側面にも重きが置かれる。
一方で、仁義どころか狂気としか言いようのない千葉真一の強烈なインパクト。>>続きを読む
人の世に対する冷徹な眼差しに痺れる。精緻な人間描写に唸らされる。
人の営みを描いてあまりに厳しいリアルさに戦慄すら覚える。登場人物の言動に不自然さを感じるものが無い。もちろんフィクションなんだから、>>続きを読む
若尾文子がやばすぎ。最初っから最後までフェロモン垂れ流しで喘ぎっぱなしって感じ。平幹二朗と二人で食事する座敷の場面で、話しかけながら少しずつ擦り寄ってくる姿の色気といったら!
若尾があまりに強烈過ぎ>>続きを読む
戦後の混乱期から立ち上がりつつ、未だ高度成長が訪れる前。昭和26年という微妙な時代の雰囲気に触れることができただけでも興味深い。
それにしてもこんな出来事らしい出来事も起こらない話を立派に映画にして>>続きを読む
半裸姿&珍妙なダンシング見せまくりの浅丘ルリ子はかなりの体当たり熱演と評価してよいと思われる。
この時期の増村映画にはよくあるテーマだが、浅丘演じるミチが狂女のようでいて、ある種女性全般が普遍的に有>>続きを読む
衣裳部屋で突如泣き崩れる宮沢りえ。その気持ちは確かに自分にも伝わってきた。何故なのか説明などできない。理屈ではないのだ。
坂本龍一の奏でるピアノと西島秀俊の涼やかな語りが耳に心地よく、映画館の暖房が>>続きを読む
なかなか面白いんだけど、一方で成瀬作品らしい深みに欠けるように思う。
高峰秀子のキャラクタライズは、ここまでやるかというくらいのエスカレーションがとても面白い。気性が激しいだけでなく、生命力のたくま>>続きを読む
不器用で天然っぷりがかわいらしい原節子と、家では虚勢を張っているが外に出ると器の小ささを露呈する胃弱夫・佐野周二。典型的な小市民夫婦の姿を見るようで、身につまされるとともに苦笑がもれる。
岸田国士の>>続きを読む
ジム・キャリーの生来の如何わしさが作品世界にマッチしている。設定は面白いが、隠喩としての深みが物足りない。他人のプライベートすら消費する社会への風刺であるのは分かるんだけどね。
世界の「限界」に到達>>続きを読む
崩そうとしても変形させようとしても、抵抗を難なく吸収し元の形状に戻ってしまう。一粒一粒は、体にまとわりつき衣服の隙間に入り込むほど細かく、大量にまとまると家屋さえ容易に押しつぶす。砂の恐ろしさは画面か>>続きを読む
三人が三人とも、こんな関係を続けることが良い事だとは決して思ってはいない。それにも関わらず、ぬるま湯につかったまま十数年も過ごしてしまうモラトリアム。普遍的な人間の弱さを感じさせられる。
子供たちふ>>続きを読む
貧乏貧乏と言う割には、貧しさを直截的に描いた場面は実は多くない。自身の醜さ賎しさ逞しさに強烈な劣等感を持ちながら、それを書くことでしか活路を見出せない。そんな彼女の生き様を通して伝わってくる。この語り>>続きを読む
例えば、少年時代からの潔癖症、強迫性神経症が、彼の人格や人生にどのような影響を与えたのか、説明的に描くような演出は一切取っ払われている。しかし、おそらくそんな説明をちまちまやっていたらハワード・ヒュー>>続きを読む
こんな破滅的人生に美を感じようとは。じっとりした湿気が画面のこちら側まで伝わってくる。
仏印の熱帯雨林での出会いに始まった不幸なロマンスは、屋久島の、これまた熱帯雨林での豪雨の中終わる。
人生の歯>>続きを読む