現在のポストシネマ的な状況の基点となった作品という意味で、今だからこそ確認しておくべき価値はある。
話自体は言ってみれば白人酋長モノ。帝国主義と資本主義を明確にポスコロ的な視点から批判している点が2>>続きを読む
今まで、一方的な客体としてカメラに搾取され続けてきた者たち(馬や、猿などの動物たち、そして黄色人種や黒人たちが代表する周縁の人々)による、ビッグペイバック!
この映画は、既存の映画史のクリティカルな読>>続きを読む
ホモーシャル感と、アメリカの持つ楽天性が映像として結晶化されたかのようなバレーボールのシーンがすごい。ストーリーに直接寄与しないシーンなのに(寄与しないが故に?)、突出した印象が残った。
映画全体を通>>続きを読む
かつて「ここにいた」者たちの物語を語り継ぐこと。そして自分は「ここにいる」という叫び。生きて死ぬだけの人生だからこそ、時空を超えた承認欲求が、表現として結実する。
他者の物語を語り継いでいくこと、自ら>>続きを読む
特撮映画のリアリティラインが実写映画とアニメーションの中間にあるとしたら、『シン・ゴジラ』のそれは実写映画寄りだった。対して本作のリアリティラインはかなりアニメ寄りにある。『シン・ゴジラ』の重厚さに比>>続きを読む
MCUという巨大規格の網の目を掻い潜り、溢れ出すサム・ライミの作家性。
タイトル通りの狂気的演出がクライマックスに向かうに連れて加速していく異色のジェットコースタームービーという印象の一作。
「あり得>>続きを読む
夜道でヒッチハイクをしていた女性を偶然車に乗せたことで、私立探偵の主人公は大きな陰謀に巻き込まれていくことになる。
直後、主人公と女性は謎の男たちに殺されそうになるのだが、主人公だけが生き残ることに。>>続きを読む
力を求めた人間が力に支配され破滅していく話、というと、30年代のギャング映画のようにアメリカンドリームをある種裏返したもののような印象を受ける。
しかし、ここで描かれている破滅には、言ってみれば因果応>>続きを読む
冒頭のクレーン撮影による長回しからして圧巻の一言。
終始、流麗なカメラワークによって次々と情報が提示されていく様は極めて鮮やかで、スピルバーグの巧さを思う存分に見せつけられる。
映像のリズムと音楽のリ>>続きを読む
ブルース・ウェインがバットマンとして活動を始めてから2年後、という設定の本作ですが、「バットマンとは何か」という問いに対する答えを彼が見つける話という意味で、本作は立派なバットマンのオリジンを描いた映>>続きを読む
19世紀前半のドイツで発見された、生まれてから16年の間、地下牢の中に閉じ込められていたとされる男(=カスパー・ハウザー)が、外界に出て辿った数奇な生涯をヘルツォークが独特のまなざしの元で描いた怪作。>>続きを読む
上映時間100分とは思えないほどの脚本の密度、展開のスピード感が素晴らしい。
目まぐるしいカメラワークに、節操なく動き回る登場人物たち、丁々発止の広島弁の応酬…と、『仁義なき戦い』シリーズでお馴染みの>>続きを読む
父親の自殺に巻き込まれて荒野に取り残された姉弟と、通過儀礼のために荒野を彷徨っていたアボリジニの青年の出会い。
まるで蟻の群れを撮るように、都会の雑踏や喧騒を切り取ったオープニングシークエンスからし>>続きを読む
オープニングクレジットからして豪華絢爛で、まるでこれから観客をオリエント急行による優雅な旅行に連れていくかのような趣がある、
列車と映画というメディアの歴史的関係を紐解くまでもなく、列車の乗客と映画>>続きを読む
台北に住む、それぞれに大きく、小さい問題を抱えた家族のドラマをこれ以上ないほどに美しい映像で描き切った、エドワード・ヤンの遺作。
映画は結婚式から始まり葬式で幕を閉じるが、その間の群像劇はヤンヤンの>>続きを読む
ハメットやチャンドラーの私立探偵小説の世界に、ブゴウスキーの小説の登場人物たちが迷い込んだような趣のコメディ。
同姓同名のリボウスキと「間違われて」一連の騒動に巻き込まれる、というオープニングからし>>続きを読む
タイトルの「セルピコ」とは主人公の名前であり、つまりこれは主人公の名前をタイトルに冠した映画です。
そのため(当然のことですが)、この映画はセルピコという人物がどういった人間だったのかを描くことに終始>>続きを読む