JWとオハラが初めて出会うかの有名なシーン、JWが案内人に急かされて馬車に戻るが馬車に乗った後もオハラの方を見つめ続ける。その次に来る羊の群れを従えるオハラのロングショット、映画史が持ち得た最も美しい>>続きを読む
個人的には、フォアマンの『ブロンドの恋』、ベルトルッチの『革命前夜』に並ぶ三大ヌーヴェルバーグフォロワーの1つだと思う。レオーが袋に空気を入れて女の子の後ろで破裂させて、女の子が振り向く瞬間に顔のクロ>>続きを読む
罪と罰の真似する2人のシーンすげー。赤い椅子に置かれた聖書のクロースアップを挟みながら、上手下手からのショットをつないでいく。振り向く瞬間につなぐのも素晴らしい。レオノールシルヴェイラの演技も良かった>>続きを読む
前期ゴダールの中では1番ふざけてる印象。カリーナが帰り道に手を広げて走るシーンは、『汚れた血』、『大阪物語』に先立つ美しい瞬間。この映画、アンナカリーナじゃなかったらどうなってたんだろうか。アンナカリ>>続きを読む
カークが殺される前の数分間、画面内の全ての動きが怖くなる。カメラの動き、カメラのアングル、自家発電機の音、ブランコの動き、2人の会話、そのどれもがこのあと何か起こりそうな予感をさせて怖い。この境地に達>>続きを読む
何だろう、このカットが緊密に連携してる感じ。主人公に甥が婚約者(=ヒロイン)を紹介するシークエンスとか、その甥とヒロインが獄中で結婚式を挙げるシーンとか、1つ1つのショットも素晴らしいんだが、その上で>>続きを読む
蓮實の『映像の詩学』の中のジョンフォードに関する論考で、「ジョンフォードが感動的なのは男たちを待つ女たちの腰につけられたエプロンが飜る様が、見る者の感性を揺るがすからだ。」的なことが書いてあって、読ん>>続きを読む
やっぱ16mmフィルムはいいなー、ラストの彼女のクロースアップなんてデジタルじゃダメでしょ
オールタイムベスト更新。小津ばりに視線の行き交いでドラマを作っていくのだが、そこで発生する抒情がもう凄い。グラーブが人気のないベンチでヴィジャイを誘惑して歌うシーンとか、金のないヴィジャイのために自分>>続きを読む
この時期の成瀬には何かしらの確信のようなものを感じていて、それは「別に綺麗なショットを撮ったり、カッコいい編集なんかしなくても映画は面白くなる」みたいなことだと思う。実際この映画は『乱れる』同様、人の>>続きを読む
ベロッキオは人物のエモーションに合わせてカメラを動かすことが上手くて、例えば『肉体の悪魔』で主人公の2人が部屋の中で追いかけっこをするシーンのカメラワークとか、『結婚演出家』の教会のシーンの移動撮影と>>続きを読む
ざっくり言えば恋恋風塵と冬冬の夏休みの中間。室内の構図の取り方とか光の処理の仕方は恋恋風塵的な完璧さに収まってるし、コマで遊ぶ子供達や果物でお手玉をするおばあちゃんの光景は冬冬的。
長男、長女、母親を>>続きを読む
ラングを見ても思うんだけど、センスが先を行き過ぎている。四年ぶりに地元に帰ってきたら誰もいなくなってて、かつての友人にその事情を聴くシーンはホラー映画みたいな演出で脳裏に染み付くし、ジョード一家がカリ>>続きを読む
ラジオに聞き入る浴衣を着たおこまさんを斜め前から捉えたクロースアップは、明らかにエドワードヤンに影響を与えている(もしかしたら見てないかもしれないが)。映画が1人ではできないってことが一番よく分かる映>>続きを読む
ざわめきと沈黙の緩急がいいし、クロースアップもいいし、照明もいい。アクションシーンに関しては今更言うことは何もない。リンゴがダラスに告白するシーンでこの映画に完全にのめり込んだ(すごいショットとそのリ>>続きを読む
蓮實はこの映画を実験映画だと言っていたが、この速さは確かに前衛的。新聞社の移動撮影からしてものすごいスピードだから。ただ、たまにハッとするようなショットや編集が出てくるのが、やはりホークスだなという感>>続きを読む
光線が素晴らしい。ヴァルダの『幸福』系の照明。ただこういう日記的な映画でブレッソン流の感情ゼロ演出を施す効果とは?終盤、ダニエルが悪友たちを追い払うためにフランソワーズにキスをする。その瞬間にカメラは>>続きを読む
序盤はつまらない、『ゲームの規則』の目まぐるしい動きもないし。ブランコのシーンにもそこまで乗れず、ダメかなぁと思ったところで、ボートの上でアンリがアンリエットに言い寄るシーンの途方も無い美しさに圧倒さ>>続きを読む
1990年代に入ってやっとこの映画のセンスに追いついた感じがある。脱獄のシーンとか、面会のシーンとか。
天国のようなバカンスから暗い安アパートの一室でヘロイン中毒になるまでの転落具合。その後ジェラールは娼婦と結婚し子供も設け、再び天国のような生活に戻る(妻が白い光の中で赤ん坊をあやすショット!)が、それ>>続きを読む
カットをほとんど割らないながらも、ブレッソンと同じように動きを特権化していく。つまり役者の一挙手一投足が観客の興味を惹くようにできている。それでもクライマックスではサイレント時代さながらの沈黙のモンタ>>続きを読む
オープニングショットが、ベタだがいい。電話する女の目の超クロースアップからだんだん引いていくと、もう家についているのに、「今ちょうど会社出ようと思ったところ」と言って彼氏(ではない)に世話を焼く。個人>>続きを読む
オープニング、カークダグラスが突然殴られるところで本気でイラついてしまった。いつもはこんなことはないのに。そしたらさらに2、3回殴られる。それでもカークダグラスは殴った若造と和解して相棒にする。こんな>>続きを読む
過去の戦争のシーンがモンティパイソンみたいだったのは、いいのか悪いのか、少なくとも自分の好きなオリヴェイラはここにはない。俺の好きなオリヴェイラは昼飯を取る兵隊たちが3人一組になって語り合うシーンの、>>続きを読む
傑作。面白がすぎる。一切の余白をなくした中に計算し尽くされたものを入れていくというあの感覚(『ゲームの規則』『フルスタリョフ、車を!』的)に加えて、怒涛のように動く外部=社会の存在感をしっかり捉えてい>>続きを読む
途方も無い。某批評家が「オリヴェイラの撮ったものなら全て映画なのだ」と言っていたがまさにそう。登場人物たちもカメラもショットも、みんな映画でしかありえないように動いていく様にどんどん引き込まれて行く。>>続きを読む
役者の演技の解釈はまさに映画そのものであって、物語もそれに相応しく展開していく。もしショット1つ1つがもう少し高級だったら、鈴木清順とかアレクセイゲルマンに匹敵していた
長屋の照明、その外で世話を焼く多部未華子の喜劇的な才能、飲み屋でのいざこざからの退散して行くお上たちにかけられる罵声、何度か見直そうと思う
黒い画面に筆記体でクレジットが表示されると、快いリズムの手拍子が鳴り響き映画が始まる。最初のショットは手拍子をする結婚式の参列者たちを写す手持ちカメラの映像なのだが、これがフィルムっぽいザラザラした質>>続きを読む
凄すぎる映画なのに明らかに過小評価されている作品。
幼い頃のエストレーリャが庭のブランコで遊んでいると家の外からバイクのクラクションが聴こえてくる。その瞬間父が帰ってきたことに気づいた彼女がブランコを>>続きを読む
始まって5分くらいのカトリーヌ・ドヌーヴのクロースアップから普通じゃない。一般的なクロースアップよりもカメラは遠いところに置かれ、画面に占める主題の大きさも比較的小さい。ドヌーヴの顔が空間から浮遊して>>続きを読む