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オッペンハイマーのろくのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.5
確かに音響もすごいし(ちょっと心臓に悪い)、カメラワークや早口な展開など見る者を飽きさせないんだけど、ちょっと待ってって言いたくなる。これそれらの「技術的なこと」を全部はがしていったら何が残るんだろうって気になってみてしまった。タケノコの皮を剥いで剥いで剥いだ後に残ったのは意外とほっそいタケノコだけだったりして(これでは一人前の若竹煮も作れないよ)。

ここにあるテーマは2つかと思うんだ。①人間は結局、計算や論理でなくこれ以上ないくらいの醜い嫉妬や悪意の感情で動いてしまうってこと。②結局歴史は遡及出来ないし僕らは何が悪くて何が良いかわからないってこと。ただ①に関しては先達のアマデウスなどに比べたら至って紋切型だ。②は多少考えさせられたんだけど、それならもう少し原爆については言及すべきだと思ってしまった(これはオッペンハイマーを語った映画であり原爆の言及に関しては「それを伝える映画ではない」と言う言説にはあえて黙殺する)。

そうなんだ、僕がこの映画を見て思ってしまったのは監督のC・ノーランが表現者ではなく職人(craftman)であるってことを再確認させられてしまったってことなの。いや監督として決して下手ではない。むしろ上手い。あの音響、カメラワーク、どれも一級品だ(ノーランにかかれば食卓でラッキョウが転がるだけでも一級品の「映画」が作れるはずだと思う)。でもそこで伝えたいことって「よくある」ことでしかないのではって思ってしまった。ノーランの意志が見えない。彼が苦悩して原爆について、オッペンハイマーに関して、赤狩りに関して何か伝えたいのかってのが見えない。いや見えるんだけど、そこにあるのは紋切型だ。こう書けば、観客は、アメリカ人は、あるいは評論家は喜ぶんだろ、絶賛するんだろ、そんな感じにしか見えない(嫌味な言い方をすれば非常にアカデミー賞的な作品じゃないか)。小癪である。

(溢れでるような)破綻がないんだ。

比べて申し訳ないが僕の好きなヴァーホーベンやデパルマ、あるいはカウリスマキには破綻がある。無茶がある。でもノーランは。ここまで言ってしまうのは申し訳ないんだけど、美味しいが心に残らない値段だけ高いフランス料理(あるいは懐石料理)のような感じなんだよ。不味いわけではない。むしろ旨い。でも「旨かったねえ」で終わる。食っているときは何食わせられているんだって思いながら後で「あれもう一回喰いたい」って感じる食事じゃないんだよ(それは他のノーラン作品でも感じていたことだ)。

すまない。それでも映画としては十分楽しめるのでそこまで文句言う必要ないし(実際点数は3.5つけます)最後なんか(それなりに)心動かされたんだけど、それでも僕は破綻だらけで見ているほうが困ってしまうけど溢れ出る力が現れてくる映画が好きだ。

※これがヴァーホーベンだったらどんな映画を作るんだろうと思う。きっとオッペンハイマーはとんでもなく悪辣だけど彼のモラルで生きている人間として描かれたんじゃないかと夢想する。当然史実なんか無視で彼の世界になってしまうからそれはそれでいろんな文句がでるだろうけど。

※ハイゼンベルグやゲーデルが出てくるのはそれでも好き。どちらも「科学、数学の限界」を知っている人だ(それは当然アインシュタインに帰結するが)。僕らは全てを知ったとしても神にはなれない。

※ある程度メジャーになった監督が歴史物に挑戦することに少しだけ苦笑を感じる。この感覚はスピルバーグが「シンドラーのリスト」を撮ったときもそうだし、(面白かったけど)タランティーノが「イングロリアス・バスターズ」を撮ったときもそうだった。そういえば漫画家さんもそうだよね。(これも面白いんだけど)ゆうきまさみが「新九郎奔る」を書き、松井優征が「逃げ上手の若君」を書いたときも。いや別にいいんですよ、いいんです。ただちょっとね……
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