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私は貝になりたいの教授のレビュー・感想・評価

私は貝になりたい(2008年製作の映画)
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結構退屈な映画でショックだった。
戦中派である橋本忍の脚本があるとしても、戦争を知らない世代が描く当時の世相という嘘臭さが前面に出ている。
それは本作をリライトした橋本忍も同様なのだろう。やはり「時間の経過」が出来事を風化させてしまうのだろう。

まず序盤の徴兵までの流れ。
主役の豊松を演じる中居正広は、長身で若々しくて片足を引きずってはいるが、溌剌としている。
一方でその妻の仲間由紀恵も同様。
どうしても華やかさが強く「市井の人」には見えない。
加えて徴兵されてから妻に丸刈りにしてもらう、からのこれまでの生い立ちの回想シーンへの流れも冗長で最初の退屈なポイント。

軍事裁判で絞首刑を言い渡された後。
巣鴨プリズンでの勾留生活でほんの僅か登場する大西を演じる草彅剛の圧倒的な存在感。本作における中居正広が「頑張っている」と表現するなら、草彅剛の演技は「上手すぎる」と表現できる。
出演シーンは短いながら(短いが故)静かに画面を支配して印象付けるカリスマ性には驚いた。

その後の矢野中将(石坂浩二)との交流も、豊松にとっての理不尽さ、悲劇の原因であった存在との交流を描くにあたって、この堂々たるキャラクター設定は、明確に反している。東京大空襲への腹いせに、捕虜殺害を仄めかす存在の割に、善人っぽく描かれるのは違う。

加えて非常に緊張感を削ぐ西沢(笑福亭鶴瓶)との交流はバラエティ番組みたいな上、助命嘆願の署名を集めるエピソードの「謎感」に首を捻ってしまう。
なぜ…あんな雪山を走り回り泉ピン子やらなんやらに頭を下げている姿には、豊松が人望がないようにも映るし、絵葉書のような大自然の壮大さは作品のスケール感、サイズ感にまるで合っていない。

全体的に画面のスケール感を演出したいのか、日本の四季折々、山々、海や川などのシーンが頻発する。しかし「市井の個人が大局的な事情で蹂躙される」という物語のサイズとして的確とは言えず単にノイズになる。それよりもドラマを引き締めて演出してほしいと思ってしまう。

ラストの中居正広の演技はさすがに迫真で、まるで身体も小さくなってしまったように見えるほど、か細い存在に感じる演技で圧倒される。
絞首刑台に登るシーンも、遺書の読み上げも、ただただ恐怖を感じるほど「あちら側」に行ってしまったという狂気が漂い、深い深い絶望を感じさせる。
ただ…遺書の読み上げは死刑執行までに終わらせておくべきで、映像とモノローグのテンポが合わずになんだか気持ち悪い感じで映画が終わってしまった。
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