月うさぎ

キネマの神様の月うさぎのネタバレレビュー・内容・結末

キネマの神様(2021年製作の映画)
1.5

このレビューはネタバレを含みます

「タイトル詐欺」です。原田マハ原作と謳ってはいけない。同じなのは主人公のおっさんの名前だけ。
「キネマの神様」というタイトルだけ借りてオリジナルとして発表すべきでした。題名には著作権はないんだし。 

原作小説とはテーマが反対方向なんです。
原田人気に便乗した制作会社と自分の話がしたくて仕方ない監督が先走った、小説へのオマージュゼロな、なんちゃって実写化です
どこで間違っちゃったんだろう?
全く関係ない作品としてご覧になることをお勧めします

小説では市井の一映画ファンが映画愛故に国も世代も越えて繋がり、かつ、映画を観るという「体験」を得られる「映画館」、特に名画座やミニシアターへの愛を捧げるお話です。
映画とは受け取るファンの映画愛があってこそ成り立つ芸術であることを高らかに宣言するものです。
そう、このfilmarksの仲間たちのように、映画を愛し楽しみ共に語りたいと思う純粋な映画ファンを描いた小説なの。

なのになのに、この映画は、映画人が自分の思い出話で盛り上がって終わっている。
あの頃の撮影所を知らねー奴はさー、といいたげだよね。
役者と制作スタッフのウチワ受け、のみならず、原節子を知らなければ映画通でないかの如きロートル感全開です。
原作では「ニューシネマ・パラダイス」が最高峰の映画でした。(その決めつけもどうかとは思ったりするのですが)本作に関しては、小津安二郎の「東京物語」がどうやら最高峰らしい。そもそも洋画は映画ではないらしい。話題にもならない。悪いけど、いくらなんでも感性が古すぎです。
当時の価値を貶める気はないですが、現代に持ってきてそれが最高と言われても…。
映画の中から役者が観客に呼びかける?メタ小説ならぬメタ映画とか、そんなの新しいですか??3Dあり、インターネットやメタバースありの時代に?
40年も50年も前に書いた脚本が現代の脚本賞を受賞?
そんなに今の映画ってなってませんか?
小説舞台になってたギンレイホールでかかってたので行ってきましたが、映画のロケもギンレイホールではやらなかったんですね。まあ、名画座の館長は映画人の落ちこぼれ的扱いでしたからね。それも失礼よね。
原節子時代の演技を踏まえてなのか(演技するな、セリフは棒読み強要だそうです)寺島しのぶと宮本信子という演技派女優が不自然さ全開のヘンテコ演技をさせられており、誠に気の毒に思われました。菅田将暉は普通に良かったし、永野芽郁も古っぽいのがよく似合っていましたし、沢田研二のダメっぷりも良かったけど。
東村山音頭を歌わされていたのには、スーッと冷めましたね。
志村けんさんへの追悼ですね。それはわかるけど、彼が亡くなったんだよなと、現実に帰るじゃないですか。また、もし、志村けんが演じていたとして、やはり東村山音頭を歌わせたんだろうか?だったら最低だな、と思います。ドリフの時のお笑いネタですよ。役者として起用するならコメディアンを思い出すような演出はすべきでない。こういうことをすると、物語から心がそれるんですよ。
寅さんは決して渥美清の顔は見せません。
あれは完璧に演技なんですよ。
やれやれ、1930年代生まれの方同士で勝手に懐かしんで下さいませ。
そういう映画でした。
間違ってもこれが昭和の映画のエッセンスとは思ってほしくないなあ。
(昭和は64年間もあるんですよ。30年代で足踏みしてる訳ないじゃないですか)
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