空の落下地点

わたしはダフネの空の落下地点のレビュー・感想・評価

わたしはダフネ(2019年製作の映画)
3.0
〈ダウン症者〉でも〈レズビアン〉でも〈母を喪った者〉でも〈老父を支える者〉でもない、彼女はダフネ。ジャスト、オンリー、ダフネ。
まずこの映画を観て、絶対に可哀想という感想は出てこない。むしろ彼女は強い。詩人であり、セラピストであり、その達観した言語感覚は国語力という意味合いにおいては健常者の中でも知的な部類と同等。言い合いになった時の瞬発力、相談に乗る時の的確さ、それでいて誰も傷つけることはない。
福祉を使わずに自分たちの力だけでお母さんのお墓を目指す二人。前の乗客の鼻の跡が車窓に付いていて、健常者は清掃員の職務怠慢を指摘する。一方ダフネは、”いない”のに”ある”ということの不思議さに魅了される。日常の中に、いない人の痕跡が沢山あること。それを希望として捉える。
一見、ダフネは、悲しみや喪失、あるいは差別といった複雑な観念を理解していないかのように見える。でも、「本当の友だちは前でも後ろでもなく隣を歩いてくれるもの」という発言からも判るように、速い=優れている、遅い=劣っている、などの個体差をちゃんと認識している。自分が人と違うこと、世の中には自分を置いてけぼりにするような人種がいることを、彼女は解っているんだ。
空の落下地点

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