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辰巳のarchのレビュー・感想・評価

辰巳(2023年製作の映画)
4.2
伊能昌幸は分かったけど細川岳は見つからなかった…後藤の後ろにいたか…?悔しい。



『ロード・トゥ・パーディション』や『グラン・トリノ』のような子連れ狼的なストーリーを屋台骨に、現代日本(ガラケー時代だけど)で実現可能な"ウエスタン"としてこれ以上の正解はないように思う。その点で、私は本作を大傑作だと思う。(公式がノワールであることを打ち出している承知で書いてます)

ウエスタンとして評価する理由の一つは復讐の連鎖を描き、その復讐をしっかり肯定する姿勢で作られていること。時には復讐の先にしか道がないのともあるのだという、世界観だ。兄弟(姉妹)を殺され、殺した者達による殺し合い。否応なしに対比され、対峙し、「身内を殺された」という激昂は歯止めの効かない推進力として本作を突き動かしていく。
その中で辰巳の弟のエピソードは興味深い。辰巳が救えなかった存在として、辰巳のスティグマとなっていて、ついには葵に重ねてしまうのだ。葵を救う理由を明確にしないが、途中1度挟まれる藤原季節の「顔」だけで、十分に物語っている。

復讐を肯定しながらも、復讐することはつまり「復讐される側」に回ることでもあるのだと本作は忘れていない。そして辰巳もそのことを充分に理解している。だからこそ、辰巳は兄貴の元に死に体で向かう。これは弟の死を車で発見した辰巳の体験の"継承"。自己犠牲とするならばそれはあまりに単純化している。辰巳が葵を救う裏には、弟を目の前で失ったことへの業があった。それを兄貴の目の前で死ぬ事でそのまま"継承"する。ある意味辰巳は兄貴を「良い奴」だと信じていたのだろう。

2つ目には「顔」。私のいう"ウエスタン"が厳密にはセルジオ・レオーネのイタリア製西部劇の文脈が強く、その意味でやはり「顔」をアクションとして撮ることにこそ"ウエスタン"の真髄がある。
本作もまた役者の「顔」を丹念に画面に映す。その「顔」では幾重の感情が拮抗し合い、形容しがたい感情を創出していく。その顔面上の拮抗こそを、本作における最も熾烈なアクションとして撮っている。
個人的にはそれらはクリント・イーストウッドのやり方に近いなと思っている。特に本作が巧みに作劇に盛り込んでいる車内シーンの数々で「顔」というフィールドてアクションをしているのは、近年の『運び屋 』や『クライ・マッチョ』のような動けないイーストウッドの方法論でのアクションに近しい。
ただ違うのは、照明やグレーディングの段階、及びその俳優の演技レベルで、邦画にらしからぬ色気や気品が備わっていて、そこがいわゆるノワール的な撮り方に思える。

他にも男性社会の中で、事態を掻き回す葵が痛快。辰巳に守られないと簡単に死んでしまう葵でありながら、事態を己が論理で突き進む葵の「強さ」に魅せられていく。そこがとても良かった。



余談、撮影自体は大体5年前ぐらいらしく、今ではかなり売れてる俳優がちょい役だったりするのもそういう背景があるのかもしれない。
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