イスケ

システム・クラッシャー/システム・クラッシャー 家に帰りたいのイスケのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

考えれば考えるほど、「システムクラッシャー」というタイトルに皮肉が込められているような気がしている……

大前提、ベニーに対峙する当事者になれば、壮絶な日々が待ち受けているだろうし、正解が見つかる気もしない。今日良くても明日はうまくいかないの繰り返しでしょう。

でもそんな中で、一筋の光が見えたような気がしたのは、赤ん坊に顔を触らせるシーン。
何故、顔を触らせることができたのかと考えてみると、ベニーが赤ん坊のことを可愛く思い、主体的に愛を注いでいたからだと思うのです。

現在のベニーは大人たちによって保護されている状態なわけですが、彼女からすれば主体性を奪われ、鎖で繋がれているのに等しい苦しさがあるのではないかな。

ラストシーンで空港の中を走り回るのは、見えない鎖に対するアンサーにも見えましたよ。
彼女が笑ってる時は自由に振る舞えているときだもんね。

赤ん坊を可愛がる一連のシークエンスに、彼女が成長して今度は主体的に誰かに愛を注ぐ立場になった時に大きく変化できる可能性を見い出すことはできました。


あの母親については、当事者になれば想像を絶する苦労があることはもちろん理解するけど、それにしても胸クソはたっぷりと感じましたね。

何がいけないって、自分に自信がないばかりにベニーを怖がって逃げてしまっていることですよ。
腰がひけているばかりに十分な愛情を注げていないことは容易に想像できますし、それゆえベニーにも自己肯定感が育っていないのだと感じます。
山に向かって「ママ」と叫び続ける姿は、親から受け取った愛の圧倒的な欠如をそのまま表していますよね。

ベニーの凶暴性そのものは生まれつき持っているものかもしれませんが、親の無条件の愛情が自己肯定感に結びつくこともまた事実なので、そこを怠っていたのならば、やはり親の責任はあると考えます。

顕在化の種類は違えど、親の愛を十分に受け取っていないベニーは母親と同様に本質的に自分に自信がありません。
そこに良かれと思って社会に適合するよう矯正してこようとする大人たちによって、ますますありのままを認められてる感覚が遠のくのです。

犬に吠えられただけで激ギレしてしまうのは、自分が否認されることに過敏である表れでしょう。
「弱い犬ほど」と言うように、それに負けないように攻撃的にならざるを得ない側面があるのだと思います。

トラウマが原因なのであればある程度克服していく余地はあると思いますし、発達障害のようなものであっても成長に伴ってそれなりに生きづらさを和らげることはできるかもしれない。

「生まれ持った性質だから」で片付けてしまうのは、ちょっと納得できない部分はありますね。そう判断するにはまだ早過ぎるんじゃないかと。


ミヒャの奥さんに子供を渡すように言われた時に頑なに渡したがらなかったのも、奥さんがベニーのことを怖がっているのを察知したという理由も少しある気がします。

「可愛いこの子に何も危害を加えるつもりなんてないのに」

顔を触らせて主体的に愛情を注いでいたタイミングだったことも相まって、冷や水をぶっかけられたような感覚で、余計に頑なになってしまったように見えました。
事実、赤ん坊のことは傷つけることはなく、一人で雪の中へと逃げていったわけで。

ベニーは衝動的に人を傷つけてしまうから社会として難しい存在ではあるのだけど、邪悪さは感じないのですよ。
愛されたいだけだし、人を愛する心も持っている。だから大人たちはベニーを簡単には見捨てられずに苦労は積み重なっていく。


システムクラッシャーなのか、
それともベニークラッシャーなのか。

当事者の大人たちの壮絶さを知った上で、
自分の言っていることが机上の空論であると自覚した上で、

少なくとも、ベニーが好きでこうなったわけではないという点だけは理解してあげたい。
イスケ

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