ひろゆき

岬の兄妹のひろゆきのレビュー・感想・評価

岬の兄妹(2018年製作の映画)
2.6
銀幕短評(#599)

おまけも見てね。

「岬の兄妹」
2018年、日本。1時間29分。

総合評価 51点。

なるほど パラサイト(寄生者)のはなしですね。ひとはいうならば他者に寄生する。赤ん坊のときから子のうちは 親に寄生する。長じてはひとによっては勤め先(の会社)などに寄生することはよく見られます。ときに わたしのように いくつになっても配偶者に寄生し うとまれる人間もいます。

この映画では 兄がいもうとに寄生し、いもうとは兄に寄生しますね。いもうとは障害を負っているので 兄に寄生(といういいかたが適切でないなら 依存)するしかないのに対し、兄はいもうとに経済的に寄生している。いもうとの供給する金員で ふたりは糊口をしのぎます。兄は自分の行為に後ろめたさを感じるとともに、いもうとの言動にとまどいも感じている。いったんいきつくところまでいきつくはなしだと思うのですが、ほんとうはどうなるのでしょうか。ラストシーンでプラス10点ですね。まあでも クズ兄貴はマイナス43点なので、ほんとうは相殺すると8点ですね。


(おまけ)

わたしは「ここ最近」いかにいいねを押すか。

最近「おまけ」をつけた感想文をうっかりぜんぜん書かないので、次回#600に達するに際して おまけリストがちょっとお寒い状況になってきました。そこで今回は奮発して、長いのを書きます。といっても過去分の流用がほとんどなわけですが。 よくある内容です、「いいね」論。 引用1、引用2、現状と書きます。では、


引用1 ===============

「わたしは、ダニエル・ブレイク」- 点 のおまけ

今回は、なんと禁断のテーマ「いいね」です。

「押しも押されぬ」と、「押しも押されもせぬ」という ふたつのいい回しが 日本語には別々にあって、ふたつの意味はぜんぜん違う、ということのようです。

ということを ここで論じても仕方がないのでパスするとして、毎日まいにち 世界中のSNSで「いいね」という無数のボタンが押したり押されなかったりしていて、それに一喜一憂するひとたちが存在する。これはなかなかのものです。

瑣事(さじ)ではあるけれど、大事(おおごと)だととらえるケースも でてくるでしょう。だって、いまどきの高校生は 異性に好意を打ち明けるときに、SNSに頼ることもあるらしいですから。

例にもれず、ここFilmarksでも いいねボタンがちゃんと用意されている。もちろん押すためでもあるし、押さないためでもある。このテーマはうまくふくらませば、大学の心理学あたりの卒論くらいまでは論じられる気がしますが、ここでは紙幅が限られていることもあり、ほどほどにとどめましょう。

なぜ いいねボタンがあるか。それは誰かに押されるためです。なぜ押すか。それは相手のコンテンツへの好感・共感を伝えるためです。ではなぜ押さないか。それはそのコンテンツに好感・共感をいだかない、ほんとうは抱いているのにじらしている、むしろ反感をもっている、コンテンツそのものを見落としているかのうちのどれかです。そうですよね。

では いいねボタンが押されるとどうなるか。そのいいねが これまでのいいねの数に加算されます。加算されるとどうなるか。累計されたいいね数は該当のSNSの各コンテンツに紐づけられていて、しっかり衆目にさらされます。究極の自由経済です。ちょっと意味がちがうな。もう弱肉強食の世界です。それもちがうな。

フォロワーさんの数について。ちいさな声でいいますが、わたしはいま いただいているフォロワーさんの表示数には納得がいっていません。もしかなうなら 希望数は 83くらいです。どうです、かっこいいでしょう。伸びしろが大きい。あまり数が多いとなんだかあたまがヨワイようなイメージがします。ここは小さなフォントで書きました。

しかし、じっさいにアクティブな(つまり日常的にアクセスしている)ひとの数は、形式的なフォロワー表示数のだいたい 10分の1くらいではないかと体感しています。みなさん どうですか? 世のひとは、映画以外にもっと人生を謳歌しているのです。女の子とカラオケに行ったりボーリングに行ったりしているのです。あ、それはわたしか。

ほかのユーザーをフォローする数について。ふつうの声とフォントでいいますが、これは大きくても気になりません。ただしあまり多いとタイムラインを追いかけることがむずかしくなります。わたしのように長文派のユーザーさんばかり追いかけていると なおさらのことです。ボーリングに行くためには ほどほどにしましょう。

おっと、ここで紙幅が尽きました。


引用2 ===============

「僕はイエス様が嫌い」3点 のおまけ

わたしはいかに「いいね」を押すか

答え

松:レビューの全文を くまなく読み、その内容をつまびらかにしてから、共感のできるものだけに 心を込めてゆっくり押す。

梅:統計的に無作為に(つまりランダムに)押す。連打するときはもちろん目をつぶることが多い。

わたしの場合は松でも梅でもなく、そのあいだのどこかのポイント(竹)です、そのつど幅がありますが。いやいや やはり松のときもある。梅のとき?は たぶんないと信じています。

しかしそれは相手にもよる。
内容が深いことを書くことが多いひとには、プラン松で臨む。しかしなかには英語読解の応用問題級の文章を書くので 3回読んでも意味が取れない高校生の女の子もいる。そういうときは、あと2回くらいは読む。

とはいえ、そもそも「素晴らしきかな、人生」のおまけのユーザージェンダーの項で語ったように、わたしはもはや研ぎ澄まされた嗅覚で相手の男女の別を読み分けられる。いまやわたしのフォローしているひとの約8割は女性であるので、キホン熱心に読む。オトコの書いたものは、まあまあそれなりに読む。

あるいは同じ相手であっても映画による。
じぶんがこれから観る予定のおもしろそうな映画については、誰のレビューもまったく読まないし もちろんいいねも付けない。映画を観てからのお楽しみ(みなさんとの答え合わせ)である。

といいながら、誰が何点をつけているのかすこし気にはなるので、ひとによっては点数だけ確認する。そうするとレビュー1行目の半分くらいを視野見(「勝手にふるえてろ」参照)してしまい 多少のインプットを得るが、これは仕方がない。そもそも1行目から結論を書くのはわたしくらいなのだからだいじょうぶ。

わたしがどういう いいねをもらうとうれしいか。
これはむずかしい。わたしがAさんのレビューにいいねとしてから、Aさんから間髪を入れずに 特段関係のない映画レビューに“いいね返し”があるとき、場合によっては これはあまりうれしくないかもしれない。あとはだいたい全部うれしい。とくにつまらんおまけの小文に対しては。

的を射たコメントがあるとき、これはめちゃめちゃうれしい。そういうときは当を得たコメントを返すようにこころがけている。

結論
この世に義理チョコのあるかぎり、義理いいね はある。どちらもいらないけれど。

ぜんぜん関係ない結論になりましたが、ここまで打ってしまったのでそのままにします。バレンタインも近いし。


そして今回 ===============

最近のいいね押しの傾向

ドラマ部門の感想文に対して
ドラマを観ませんし、いいねも押しません。わたしは映画部門であっぷあっぷ溺れそうになっている人間なので、ドラマまでは手がまわりません。ただし「クイーンズ・ギャンビット」だけは主役のアニャさんがかわいいので、感想文をアップアップしました。アニメ部門も同様に立ち入らないことにしています。なので、以下 映画についてのみを書きます。

スタンスとして(いまや)キホン全部にいいねを押します。上述の松・竹・梅 作戦の観点からいうと、「梅」傾向比率が格段に上がりました。これはいったいどういうことでしょうか。

ひとつ目の理由は、すべての感想文がわたしの映画ライフに貴重なインプットをもたらしてくれることへの感謝をあらわすことです。だいたい斜め読みをしてぽちっと。

前回書いたコメントでは、これから観る予定の映画は、いいねを押さずに 映画を観てから押すといいました。しかし最近は真逆です。なぜなら押されたほうのかたの立場をかんがみるに、

じぶんがアップして、まもなくいいねが押された場合。→ああ、感想文を読んで共感してもらえた。と、さらっと受け流す。

じぶんがアップして、ずいぶん経って忘れたころ(あるいは大昔のアップ)にいいねが押された場合。→相手が最近その映画を観て いいねを押してくれたと想像する。→相手の書いた感想文を探しにいってそれを読むという義理立て、まあ心理的な負担ですね、を感じる。

という気がするのです、なんとなく。 小心者でしょう。ということで、相手にすこしでも気をつかっていただきたくないために、じぶんが未見の必見映画でも すぐにいいねを押します。映画を観てからは、すでにいいねを押してある皆さんの感想文を読み比べて ほくそ笑みます。あああこの感想文は、押した いいねを取り消そうか、とか。それは冗談ですが。

目先に観る予定のない映画、これは罪がないので感想文をざざっと読んでいいねを押します。しかし、往々にして映画のすじ、あらすじならまだしも、細かい筋や結末をていねいに書いておられる場合があります。この場合は「視野見」するほかありません。視野見すべきひとと必要のないひととは、経験上から区分ができます。だいたい最初の約1段落は視野見しますが、段落を切らずにぐいぐい書くひとの場合は5行目までをめやすに視野見します。

あとコワイ映画、これは完全にスルーします。ジャケ写見なかったことにします。そっち系 ニガテなんです。

わたしが追っかけをしているひとはキホン長文を書く派のみなさんです。わたしなど足もとにも及ばない。それをぜんぶ読むのか飛ばし読み拾い読みするのかは、そのときの気分と風向きしだいですよ。ここはカンベンしてください。

なかには 想像を超えて突出した長文を書く大学生の女の子がいて、たぶん長いときはスマホ画面を5スクロールするくらいのいきおいで、それを映画数本 立て続けにアップします。いいねを押すのは いつもなぜかわたしひとりしかいなく、ほんとうに勉強しているのかなあと 要らぬ心配をしながら ちまちまひろい読みをします。

まったく何も読まないでいいねを押すとき、つまり くもりなき まったき「梅」のとき。それはあります。あまりフィルマークスに時間を投じることは人生得策とはいえません、と かんがえるようになりました、最近。すくなくともジャケ写とタイトルと採点を見て、貴重な情報をいただきました、ありがとう、と手を合わせながらいいねを軽やかに押します。まあスマホをもっているので片手ですが。あとは空いた時間で もう一本映画を観ます。あるいはカラオケとボーリングにいきます。ひまな友だちいないかなあ。


(ありがたいコメントをいただきました。)
ひろゆき

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