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バーニング 劇場版のmasayaanのレビュー・感想・評価

バーニング 劇場版(2018年製作の映画)
4.0
その存在を思い出したときに時々タイムラインを覗いていたFilmarks、なんか広告増えたなあ、と操作性にダルさを感じつつも、皆さんの熱気からして「これはどうにもすごい作品を見逃しているっぽいな・・・」と感じた作品が二つあって、偶然なのか必然なのか、どちらも韓国映画だった。いうまでもなく一つは『パラサイト』であり、もう一つは『バーニング』だ。

『バーニング』に関しては、せめてもの抵抗として原作である『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を二周した。『アベンジャーズ』で疲弊した反動で、映画に伏線なんか要らない、大きなストーリーも主題すらも要らない、といういささか捻くれた立場に立とうとするとき、なるほど、「納屋を焼く」は素晴らしい素材であるように感じた。自分の記憶が正しければ、「納屋を焼く」で納屋は焼かれない、のだから。

それはある種の比喩であり、小説はある種の会話劇としてのみ成り立っている。そう感じた。これをどのように映画にするのか。仮に原作者への愛情が1ミリもなかったとしても、演出の技術にだけはよほどの自信がなければとても撮れないような気がした。もちろん、映画的な素材とすると、パントマイムは確保されている。ジャームッシュであればリリカルになりすぎるであろうこうした素材で、韓国映画が何を語るのか。期待は高まった。(ここまで、観る前にタイピング済み。)

結果、伏線も大きな主題もある文芸映画ではあるものの、総じて成功はしているように思う。勝負をかけるシークエンスが厳選されたマジックアワーなのはいささか安易と言わざるを得ないものの、原作を現代韓国での物語として完全に消化しつつ、交換条件と言わんばかりに導入される原作者の代名詞=「井戸」。人は、人に忘れられたときに、「最初から存在しなかったみたいに」消える、人知れず深い井戸に落ちてしまったみたいに、と。

格差社会、保護主義、歴史修正主義、そしてミソジニー。誰しもが目を背けたいこうした題材(日本でもすべて何の解決もなく転がっているテーマばかりだ)を、原作のモチーフをうまく借りつつ曖昧かつ饒舌に語って見せる。ちょっと、これでも説明的すぎるのではないかと思いつつ、カンヌが褒めたのならきっとこんなものなのだろう。音楽の差し方は(復帰後に見た現代映画の中では)ほぼパーフェクト。原作にない炎と血、そして暴力。ハルキストたちに届け、って感じか。
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