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カランコエの花のKHのレビュー・感想・評価

カランコエの花(2016年製作の映画)
2.5
自分が善意と思って行動しても、そこに自分が気付かない程の小さな悪意というか、エゴが介在する事ってある。
その悪意(エゴ)が連鎖的にこの映画では発生する。
最初の1人は女子生徒のどこにでもある単なる恋バナをLGBTの問題に勝手にカテゴライズして生徒たちに啓蒙しようとした担任の先生。
1人は偶然にも秘密を知ってしまった女の子が、耐えきれず本人のためとアウティング。
1人は同性しかいない着替えの空間で肌を隠すように着替える親友。
そして最後は彼女からのアウティングをわざと逸らして、レズであることを善意で隠そうとした主人公。
それぞれの善意によって彼女が傷ついていく。
ただし描こうとしている事は正しいけど、映画としてはあまりにワンテーマ過ぎるし、作り手の思惑が丸見えで映画としての奥深さがない。
彼女の悦びも小さな世界に止めるのが正解なのか。
多分この問題(LGBT)はみんなが加害者になり得るし、突き詰めるほど周りの人も当事者も最終的に自己否定にしか繋がらない。
だからこそもはや時間の問題なのでは。現時点においてこれは、社会システムと社会意識の問題であって即時に解決できるものでないからこそ、突き詰めるほどお互いが傷付け合うし、醜い表層的な堂々巡りの叩き合いしかならない。
世界はリベラルの方向に向かっているから、自分はきっと平均的に誰もが生きやすい世界に近づいていると信じている。
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