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麦秋のKHのレビュー・感想・評価

麦秋(1951年製作の映画)
4.5
省略されることのない原寸大の日常を描く。
小津安二郎の作品は家庭の中にカメラを向け続ける事で、変化(結婚や死などの家庭内の変化だったり、時代と共に移り変わる家族の形態の変化だったり)とその哀愁を描いている。
時代的には戦後間も無く、まだ日常に戦争の傷が潜んでいる。敗戦とともに日本人としてのメンタリティが失われた、西洋的価値観によって「家族」という秩序も少しづつ崩れてゆく(自由になっているとも言える)。とは言いつつも70年以上前に撮られた映画であり、当時の普通が今では真新しく感じられる。

その一つは家の構造。小津安二郎の映画は基本的に家の中で撮られているが、現代の様に壁とドア(不動性)によって囲まれた個室とは違い、吹き抜けの大きな空間に襖や障子(可動的)で仕切られた部屋。
まだ深くは考えれていないが、家の造りと家族の在り方は直接的に関係している思う。
またこれらの家の空間の立体性(奥行き)を意識させる様に撮られた一つ一つのショットは、あまりに計算され過ぎた様に感じられ、観客に対して異化に作用するほどの独特の世界観がある。
あとは家族として色んな世代が住んでいる事も現代とは違う。特に子供たちの無邪気でいじらしさと、ひいおじいちゃんの絡みの可笑しさが何とも言えない。
(「お早よう」には負けるが、こっちのいさむちゃんも可愛い)

二つめは結婚観。
女性はある時期を過ぎたら、少女性を捨てて社会のシステムに組み込まれなければならない。
いつまでも少女ではいられない(少なくとも周りは変わっていく)のは、あまりに不条理だと感じた。900円のショートケーキは、ずっとは食べれない。
その点で結婚とは何も運命的というよりは不確実で偶然的なものとして存在し、「現実との折り合い」という形で今作では描かれている。
その不条理に対して決して怒りや諦念でなく、現実のものとして受け入れる原節子の、どこかヒロインチックな演出でありながらも圧倒的リアリティを抱えた人物像は、あまりに魅力的だった。
縁談を受け入れた紀子の「急に幸せになる様な気がした」という言葉が刺さった
KH

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