SANKOU

桜桃の味のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

桜桃の味(1997年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

静かでゆったりとした時間が流れる映画だ。しかしとてもドラマチックだ。
シナリオの構図とカメラワークの巧みさはもちろん、小説でいう余白の部分が非常に観る者の想像力を掻き立てる。
そして圧倒的なリアリズム。
冒頭、バディという男が車で広場を回りながら、誰かを探すように視線をあちこちへと彷徨わせる。
そんな彼の様子を見て、たくさんの男たちが自分を雇って欲しいと詰めかける。
しかし彼は彼らには目もくれず車を走らせる。
バディは電話で話す一人の男に目をつける。
どうやら彼は金に困っているようだ。
バディは彼に車に乗るように促し、金になる仕事の話を持ちかける。
しかし男は話も聞かずに立ち去っていく。
続くプラスチックのゴミを拾い集めて家族の生活費を稼いでいる男も、バディの提案に耳を貸そうとはしない。
今度はバディは、兵舎まで車で送って欲しいと頼み込んできたクルド人の若い兵士に話を持ちかけてみる。
バディはすぐに終わる仕事だからと半ば強引に彼を現場に連れて行こうとする。
ここで初めて相手はどんな仕事なのかと彼に尋ねる。
本来なら仕事の話を持ちかけられたら、まず最初に尋ねるべき質問だろう。
キアロスタミの映画ではよく会話が一方通行で、コミュニケーションが成り立たない場面が描かれる。
この作品でもそうした会話のズレは多く見られる。
バディは自分なら先にいくら貰える仕事なのか尋ねるだろうと答えをはぐらかす。
そして目的地に着いた彼はようやく仕事の目的を話し出す。
それは「翌朝、穴の中にいる自分に二度名前を呼び掛け、返事がなければ土を被せて欲しい」という依頼だった。
彼が提示する報酬額は、人が生活に困らないほどの高い金額なのだろう。
しかし自殺の手助けをすることに怖じ気づいたクルド人兵士は、車から降りて一目散に坂道を駆け出していく。
次にバディが依頼をしたのはアフガニスタンからの神学生だ。
同じように依頼の内容を告げると、神学生は自殺は神の教えに反するものだと彼に説教をする。
しかしバディは彼の言葉に耳を貸さず、自分の胸の内を明かすこともなく、彼を元の場所に送り届けてその場を去っていく。
バディが何故自殺を考えるようになったのか、その背景は彼の口からは語られない。
しかし、彼のひとつひとつの仕草から、彼が生きる気力を失ってしまったことは伝わって来る。
荒れ地の作業現場で車をどかせて欲しいと作業員から頼まれても、まったく反応を示さない彼の姿が印象的だった。
続く場面では彼は助手席に老人を乗せている。
そこまでの過程は省かれているが、老人は彼の依頼を承諾したらしい。
老人は人の手助けはしたいが、死の手助けをするのはとても残念だと話す。
自分の内面を語ろうとしないバディに対して、老人は人間は誰でも悩みがあるものだと彼を諭そうとする。
彼は自分もかつて生活苦で自殺を考えたことがあるが、偶然口にした桑の実の美味しさに死ぬことを忘れたことがあると語る。
人間はきっかけ次第で考えが変わることがあるのだと、老人はバディに伝えようとする。
そしてこの世界の美しさを。
老人の言葉がどれも胸に深く染み入るわけではないし、バディは相変わらず心を開こうとはしない。
しかし子供の治療費を稼ぐために依頼を受けたバゲリというその老人との出会いが、彼の見えている世界に変化をもたらしたのは確かだ。
彼はバゲリと別れた後に、あるカップルから写真を撮って欲しいと頼まれる。
彼は無言でシャッターを押す。
そして彼は再びバゲリの元へ大急ぎで戻る。そして彼はこうバゲリに頼む。
「もし二度呼んで返事がなければ石を投げて欲しい。眠っているだけかもしれないから。そしてもし石を投げても返事がなければ、肩を揺すって欲しい。眠っているだけかもしれないから。」
バゲリは必ずそうすると約束する。
バディの中にもまだ生きたいと願う気持ち、もしくは死への恐怖が残っているのだ。
夜になり、彼はこっそりと部屋を抜け出し、穴のある場所へと向かう。
時折、雲間から見える月を眺めながら、彼はゆっくりと穴の中で目を閉じる。
ここで映画は終わってもよいはずだが、次の場面ではキアロスタミ監督が役者たちに指示を出している場面が撮される。
その中にはバディ役の役者も寛いだ様子でいる。
これには色々と政治的な背景があるようだが、個人的にはバディの人生がまだこれからも続いていくことを暗示しているように思われた。
全編通して人の優しさを感じさせる作品だと思った。
バディの乗る車のタイヤが溝にはまった時に、どこからともなく大勢の労働者たちが現れ、笑顔で車を引き上げる場面がとても印象的だった。
キアロスタミ監督特有のモチーフである、ジグザグの坂道もとても象徴的だった。
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