教授

さや侍の教授のレビュー・感想・評価

さや侍(2011年製作の映画)
-
作品数を重ねる度につまらなくなる松本人志監督の3作目。
「お笑い」に対してストイックで天才と称されているけれど、本当に「お笑い」に関しても天才なのか疑問符がつく。

冒頭の賞金稼ぎに狙われる主人公の野見勘十郎(野見隆明)。まず脱藩浪人に賞金がかけられるか謎。加えて賞金稼ぎの3人。
その名も三味線のお竜(りょう)、二丁拳銃のパキュン(ROLLY)、骨殺師ゴリゴリ(腹筋善之介。しかも名前がテロップ表示。
致命傷を受けても、薬草で復活。
粗末なロケーションとセットで、画面的なクオリティもゼロ。時代劇という設定を軽く見ている仕草。

やがて捉えられる野見。捕縛されている癖に牢に入れられている様子はなく、門番の倉之助(板尾創路)と平吉(柄本時生)は2人は娘のたえ(熊田聖亜)まで引き入れるが、あそこはどこなのかまるでわからない。門番は「門の番人」のはずで…などとツッコミどころばかり。
つまり。設定だけがあり、ディテールは何もない。

その上、物語もまるで芯がなく、ダイジェスト的に反復される「三十日の行」という「お笑い」パートに移行するが、ストーリー上の論点や、リアリティのディテールもテレビの「バラエティ」レベルであるのと「身体を張った笑い」というカテゴリの特段なものではない程度。
しかも野見は、基本的に受け身で、門番とたえがネタづくりをしているので、何故それをやっているのかわからない。
蛇足で言えば平吉が多幸藩藩主(國村隼)のことを「上様」と呼ぶ考証のなさも酷い。

終盤、これまでの展開に反して「切腹」する野見の選択も「?」なだけで整合性がなく「行」に絆される大衆の心理もまったくわからない。
唐突に現れる托鉢僧(竹原和生)のクド過ぎる歌や墓の前での幻視シーンの野暮ったさ。
前作「しんぼる」での「海外」への見積もりの低さと同じように日本の大衆への低い見積もりでできた悪質さが透けて見える映画。残念ながら意識も含めて全てが悪質で低レベル。
教授

教授