銀幕短評(#496)
「バジュランギおじさんと、小さな迷子」
2015年、インド。2時間39分。
総合評価 57点。
人情もの。人情に篤(あつ)いひとは この映画を熱(あつ)く評価する。これは名作とされていますね。みなさん軒並み 4.0点から5.0点のあいだをつけておられるので、わたしのこの評点は正直 肩身がせまい思いです。
見知らぬ迷い子に対して まるで親のような思いやりと愛情をそそぐ。これは美談ですね。
その目的のために全力をつくし、過程において神の名にかけて正直でウソをつかない。美談ですね。
え、果たしてそうでしょうか? ほんとうのことしかいわないこと。つまり自分が思い込んでいることをほんとうだと信じて、それを声高に叫ぶこと。これは美談でもなんでもないと思います。
騎馬の隊長は懐ふかくバジュランギを赦免しましたね。しかし、彼はそれをはねつけます。自分の思い込む道義に反するからといって。つまり かれは隊長が投げかけてくれた善意のボールを隊長に投げ返します。それがかれの究極の目的(少女の安全)の達成を阻害することだと知りながらも。あくまで自分の信仰を優先させる。はたしてかれは何のためにここまで来たのか。隊長はバジュランギの心情を思いやり、ほんらいは許されない さらなる情けをかけます。
のちにかれは誰何(すいか)されるたびに何度も声高に答えます「わたしは(ちゃんと)許可を得た」と。鬼の首でも取ったように。これは恩をあだで返す行為ですね。ヒーローでもなんでもない。じぶんさえよければ、まわりをかえりみない。きわめて見苦しい。信仰の弊害の最たるものです。
「彼は秘密の女ともだち」(#467、50点)で、ウソはいけないが 正直がかならずしもいいわけではない、と わたしは書きました。まあ、本作で美談を強調したい作者の心情はわかりますが、わたしは同調できませんね。
インド映画では「ダンガル」(#226、91点)が一等好きです。