逃げるし恥だし役立たず

シン・ゴジラの逃げるし恥だし役立たずのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
3.5
日本の怪獣映画史に名を残す『ゴジラ』が庵野秀明総監督と樋口真嗣監督によってシリーズ初のフルCGで復活、首都圏を舞台に巨大怪獣ゴジラ対日本政府と自衛隊の激闘を描いた特撮映画大作。日本映画としては年間第二位の大ヒットを記録(興行収入は八十一.五億円)、第四十回日本アカデミー賞では作品賞と監督賞ほか七部門で最優秀賞を受賞。
東京湾アクアトンネルが謎の崩落を起こし、大量の水蒸気を伴う熱核源体が都心に向け接近する。首相官邸で開かれた緊急会議では、地震や海底火山の噴火など事故原因をめぐって議論が紛糾する。調査結果を見た官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)は海中にすむ巨大生物による可能性を指摘するも、大河内清次首相(大杉漣)をはじめとする閣僚は一笑に付すが、直後に其の荒唐無稽な観測は現実となり、海上に巨大不明生物が現れる。鎌倉に上陸後、周囲の建造物を破壊し、一路東京中核部に侵攻する特殊生物への対応は遅々として進まない中、地を這っていた特殊生物は恰も進化するかの如く屹立して二足歩行体となり、其の巨体は凡ゆる攻撃を無力化した。米国特使として極秘来日したカヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)は「ゴジラ」と呼び脅威を訴えるが…
終戦から僅か九年後に産声を上げた「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」が、戦後復興から高度成長、果てはバブル経済崩壊の日本の栄枯盛衰を経て米国ハリウッド進出、そして超高層ビルが建ち並ぶ首都東京に再び降り立つ本作品は、戦後の日本の街並を描いてきたシリーズとして捉えると感慨深い。シリーズとして本作品を含め31本製作(うち2本はアメリカ映画)制作されているが、ゴジラ以外の怪獣が登場しない作品は『ゴジラ(初代/1954年)』『ゴジラ(1984年)』『GODZILLA(1998年)』そして『シン・ゴジラ(2016年)』と意外に少なく、ゴジラ単体の映画は作り手に非常に難しいコンテンツであり、庵野秀明と樋口真嗣の両名により、東日本大震災から五年で製作し、熊本地震の年に公開した事自体は日本映画界として意義があっただろう。
東京湾の異変から幕を開けた映画は東京中核部に侵攻する特殊生物を大スケールで点描し続けるのだが結局、物語は局地的な政治家率いる官僚や科学者や自衛隊やら米国特使の一部の集団の呉爾羅狂騒曲に収束される。所謂普通の人々は殆ど登場しないという超絶に閉じた世界観に、普遍性を欠く物語を観せられても一市民である私は困惑してしまう。登場人物の背景を追求せず、個人のドラマなどの情緒的なものは極力排除して、ゴジラを舞台装置に留めた官僚たちの苦悩を描いた政治ドラマと捉えても、長谷川博己や石原さとみ達の豪華俳優陣がいちいちアップで熱演を見せてくれるが、早口の長台詞にはリアリティを感じさせず、ドラマも無ければ丁寧に彼らの苦悩や葛藤の軌跡を追うこともない、血の通わない技術だけの演技合戦であり、官僚的手続主義への揶揄など飾りにいたっては最早どうでもいい。市井の人々では如何する事も出来ずに只々怯えて逃げるだけの状況こそ、観客にとってのSF映画のリアリズムであり、『ゴジラ(初代/1954年)』でのゴジラを振り返りながら逃げ惑うエキストラのシーンには、 ロジックなど全く寄せ付けないだけの説得力があったのだが、本作品には一市民を主役にした視線が殆ど無い為、誰に感情移入出来るでもなく終始置いてけぼりであった。また、初代ゴジラが空襲・原爆・水爆、シン・ゴジラが東日本震災・原発事故のメタファーであり、放射能を撒き散らす人智では制御不能である巨大怪獣の存在は震災後の福島第二原発其の物で、「現実(ニッポン) 対 虚構(ゴジラ)」のキャッチコピーも皮肉めいたメッセージとして、謂わんとするところは理解できるが、情報量は多い割には答えは込められていない(「想像力を放棄した傍観者による安全(虚構)対 人間の経験や理性と云った範疇を超えた偶然且つ突然に襲ってくる災厄(現実)」なんて勝手に解釈したが、まさか「無能な組織 対 異能な個人」ではないだろうが…)。核兵器使用を回避するために右往左往する政治のコメディなのだが、そもそも「核=ゴジラ」でしょ?核兵器を使用しても尚、人智を超越した存在にリアリティある人間の敗北も個人的には観たかった。
石原さとみが女性大統領を目指すような才媛には到底見えなかったり、只のおクスリごっくんの「ヤシオリ作戦」の説得力、中盤からサクサク進みすぎて最期が呆気なさすぎたりと、空いた口が塞がらない設定は多々あるのだが、リアリティを優先しているためか変な伏線もなく、多彩な官僚やスタッフが入り乱れる展開の中、もの凄く速いテンポで進むストーリーに、野村萬斎の動きを模したシン・ゴジラのオリジナリティ、ビルや橋梁や車両を瞬時に瓦礫と化す圧倒的な破壊力、東京の夜景に浮かぶ高層ビルを破壊光線がぶったぎるシーンなど、虚構のような現実、現実のような虚構を具現化した映像に誰もが釘付けになるのは間違いない。
ただ、スタイリッシュに造形されたゴジラを撮影すれば、それなりの映像的テンションは担保されるし、最新のCG技術を駆使した、今起きている事だけを全力で描きつつ、其の背後にある巨大な物語を容易に想像させるという演出術は非常に上手いのだが、実写映画を徹底してアニメ的に作りきったと云う印象で、其処での期待を上回る要素が、あまり見当たらない。寧ろ、より娯楽色の強い(子供向け?)『ゴジラ対〇〇〇〇〇』などのvsシリーズに挑戦した方が制作側の腕の見せ所だった気がしなくもない。
ウルトラマン不在の地球防衛軍(ウルトラ警備隊)による東京怪獣撃退譚…シン・ゴジラの第一形態も爬虫類じゃなくて鳥類で円谷プロの造形みたいだしね…