ひろゆき

ニンフォマニアック Vol.1のひろゆきのネタバレレビュー・内容・結末

ニンフォマニアック Vol.1(2013年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

銀幕短評(#698)

「ニンフォマニアック Vol. 1」
2013年、デンマーク。2時間4分。

総合評価 67点。

映画の表題は(女性の)「異常性欲(つまり性欲亢進)」といった意味だそうです。なんだかおもしろそうなタイトルですね。ジャケットの女の子(主人公)は、教壇のまえの椅子で三角定規を使って自慰をしていますし。どうして帰宅まで、がまんできないのかなあ。まあでもあれは精神疾患のひとつのようなので、じっさいには気の毒ですね。周りのひとに なかなか理解されにくいから。

ヒトも動物なので 性欲があるのは「正常」だけれど、亢進(こうしん)度がどこかのポイント(あるいはゾーン)を境目として「異常」の域に達する。そのポイントがどこか、というのは 個人個人の主観や体質によらざるを得ない。ポイントの置き場所が異なる おんなと男とが深くながく付き合うのは困難がともなうが、主人公の求めるところは そこではまったくない。いきおい彼女は不特定多数者を対象とする必要にかられる。そうすると、ふつうの社会生活が困難になってくる。サイコロも振らないといけない。

作中でジョー(ケガを負った女、色情狂)の そのような奇妙な性遍歴を、セリグマン(女を助けた 年かさの男)が傾聴する。つまり愛のないおびただしい交わりを。身体的な快感は得られても、精神的な満足を得られずに、つぎの肉欲の快感を痛切に求める。ジョーにとっては「愛」ということばは 実感をまったくともなわない。彼女の脳は性的な快楽を追い求めるのみであり、その欲望をみたす手段にすぎない男たちの人間性や人格は まったく考慮のそとに置かれるから。

「バービー」の回で こう書きました。manly (男らしい)ということは ままあるが、 womanly(女らしい)というのはほとんど聞かないと。対して、この映画のふたりの会話の中で、こういういい回しが出てきました。男らしくないをunmanly、(男が)めめしいをfeminineと。なるほど なるほど。すると、女らしいはfeminine、女らしくないはunfemineとなりますが、そのあとは? つまり男はその男性性(男らしさ)を否定する語として「女々しい」があるのに対して、女はその女らしさを否定する語がない。「おとこ勝り」(masculine)ということばがありますが、ちょっと意味が違うように思います。つまり、(ほんらい男より劣っていて然るべきはずの)おんなが、男と対等に(あるいは打ち負かして)渡り歩いている。そういう とても差別的な語感を想像します。この辺りは微妙な感覚なので、またひまなときに考えます。いまもひまですが。


では ひさしぶりに「おまけ」をつけます。というか更新します。前回「愛の渦」からの引き継ぎです。


* * *

「性欲について」

ごくつまらないはなしをすると、おおくの動物が一年のうちにかぎられた発情期があるのに対して、人間にはそれがない。つまり年がら年中サカッテいる。性行為は動物としては外敵(おもに捕食者)に対してほとんど無防備になるところ、人間は文明を発達させてそれを遮断するすべを身につけた。そのため、いつでもどこでもだれとでも性交にふけるようになった。つまりセックス(快楽=上位欲求)が、生殖(基礎本能)から切り離されたのです。むしろ生殖がじゃまになるセックスのほうが多い。無防備な態勢を早く切り上げようと、他の動物がささっと短時間で性行為を済ませるのに対して、ひとはその快楽の時間をできるだけ引き伸ばそうとする。

限界効用逓減の法則について、

ここでちょっとね、ねむくなってきました。この案件はね、ぽつぽつ書き進めますよ。コーヒー連載までとはいわないまでも、長くなる可能性がある。誰かさんのセックスのように(そして長すぎるときらわれる)。まあまた読みにきてください。ではおやすみなさい。


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その2

4時間寝て目が覚めました。わたしの場合、4時間寝ると70%充電できます。満充電になるには7時間を要します。ではすこし考えましょう。「性欲」にとどまらず、ひろく「性」について語ろうと思います。

性欲の由来はもちろん種の保存の目的達成に根ざしています。快楽のニンジンを目の前にぶら下げることによって、子孫の繁栄(そこには性交時の外敵のリスク、妊娠時の食物調達のリスク、分娩出産の生態的なリスク、育児にかけるエネルギーのリスクなどがともないます)という、動物にとっての一大目的・任務を遂行させる。カマキリは交尾を終えてすぐに、オスがメスのエサになるといいます。子孫への遺伝子継承の目的をはたした個体はすでに用済みだというのです。究極の合理性ですね。それが妻と子への愛?の発露なのでしょう。

ここからさきは原則としてニンゲンについて語ることにしましょう。カブトガニやらコアラだのをひとからげに論じることはむずかしいのです。ヒトは受精し成長し出産されその後の過程において、性(生物学的な)の変化変容はありません。オスとして受精した個体はおとことなり、メスとして受精した個体はおんなとなります。おとこと生まれた個体は男性器(精巣、陰嚢、陰茎など)をもち、おんなと生まれた個体は女性器(卵巣、子宮、膣など)をもちます。この基本パターンをまず想定してみましょう。ここで ある2体のヒトの個体をかんがえ、それが男と女、双方とも異性に性欲を感じるものだとしましょう。はなしの単純化のために。

個体の成長の過程で、おとこは男として、おんなは女として、異性から好かれるような性徴(せいちょう)を発現します。男はからだが頑健となり、食物を狩り、女を守るために必要な体格とちからを得ます。おんなは優秀な男を誘引するために、男とは逆の体格を構築します。男よりひとまわり小さく優美なボディラインを形成し、蠱惑(こわく)的な乳房(にゅうぼう)や臀部を誇り、肌のきめを整えます。このような視覚触覚だけでなく、聴覚や嗅覚も性欲を刺激する重要な五感なので、おとこは力強いおんなはたおやかな声を発し、体臭をはなちます。

ここでちょっと、横みちにそれますが、おんなはなぜスカートをはき、髪をながくのばす(ことが多い)のでしょうか。これはやはり男への視覚効果をねらったものだと考えます。(いわゆる)女性らしさを演出することによって、目当てのおとこの耳目をあつめる。長い歴史の中ですりこまれた、いわば性徴のひとつですね。ではなぜスカートなのか。これに対して自信のあるこたえをもっていないのですが、こう想像します。さきに動物は外敵からのリスクを低めるために、てみじかな性行為を営むと書きました。ひとも同様で、のんびり全裸でこころゆくまでセックスを楽しめればよいが、そうでもない場合も多い。着衣のままスカートをまくしあげれば、最短時間でのセックス(生殖であれ快楽であれ)は達成できる。これがひとつ目です。もうひとつ。これはややセンシティブな問題ですが、おんなには月経がある。つまり排卵にともなう経血ですね。その手当のためにはおとこの穿くズボンよりはスカートのほうが重宝する。さらにこれも日常的に重要ですが、排尿のときの利便性ですね。おとことことなり、性器の造りのちがいによって おんなはしゃがみこんで排尿する。このあたりの3つの理由が、女がスカートを穿く所以だと愚考します。勘違いだったら教えてください。


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その3
21年9月(ちょうど2か月の休止が終わったので続けます)

性欲と恋愛について

性欲(性交欲、その他の肉体的な接触欲、視覚欲)は、種(しゅ)の繁殖・進化をすすめる上での動物的な基盤・土台となります。これに対して、恋愛(精神的な思慕、とここではしましょう)は、性欲を喚起するためのいわば(極論すれば)スターターだといえます。基本的にはね。

精神的な欲求と肉体的な欲求
恋愛欲にしても肉欲にしても、欲求が存在するのは、その結果としての快楽の享受が期待されているからです。精神的な欲求(恋愛欲)は、精神的な快楽(満足、幸福感)に呼応します。肉体的な欲求は、肉体的な満足・幸福感に結びつきますが、かならずしも精神的な快楽(満足、幸福感)には直結しない。そもそも肉体的な欲求が肉体的な快楽に結び付かない場合がある。それ以前に肉体的な欲求を喚起しない精神的な欲求も ままある。

ひとりの異性の相手に対して、通常は精神的な欲求(恋愛)から入って、肉体的な欲求(精神欲との輻輳(ふくそう))に変異する場合が多いと思われます。なかには 相手との肉体欲求をさきにみたして、精神欲求に移行する場合もないとはいえないが少なそうだ。

ここで、おとこと恋愛する おんなの場合を例に考えますと

A子さん。精神的な、肉体的な欲求がどちらも旺盛。これは 種の繁殖のニーズにもっとも適合する。

B子さん。精神的欲求は低いが、肉体欲求が盛ん。まあ、けっこう多いかもしれませんね。お金で おとこのからだを買うケースもかなり多いし(「女神の見えざる手」74点とか)。

C子さん。精神的な欲求は強いが、肉体欲求は淡白である。
C子さんの、パターン1。先天的に、肉体欲求が低いケース。いわば消極的淡白。
C子さんの、パターン2。後天的に、肉体欲求が減退したケース。いわば積極的淡白、肉体拒絶ともいえる。たとえば異性に不信感(たとえば不潔感)をもったケース。とくに異性から性的な被害(発言、行動、あるいは双方)を受けたケース。

D子さん。精神欲求、肉体欲求ともに希薄。上記の混合ですが、かなりまれではないでしょうか。愛情と肉欲と、ともにひくいということで、得られる快の総計がひくい。ちょっと味気ない人生を送らないといけないかもしれませんね、一概にはいえませんが。

快の総計という いい回しをしましたが、A、B、C、Dの 4パターンで幸福度がもっとも高いのはどれか、またどの順序か、ということは もちろんながら簡単にいえるものではありません。ひとりひとり異なるし、そもそも計測する方法もない。

(中休止)
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その4 22年2月

これからの章立てですが
・羞恥心について
・性交のメカニズム
・体位について
・オーラル・セックス
・道具立て
・アブノーマル・セックス
・浮気とフリンについて
・性に関する文学、映画
くらいでいかがでしょうか。え、長すぎる?

本作「愛の渦」はセックスにかなり自然体で向き合った映画なので、触発されてこの連載を再開しました。うえにあげた各章をいきなりひとつずつ掘り下げるのも難しそうなので、今回はそれにとらわれず、ひとまず自由なながれで語らせてください。交通整理はあとでします。

 * *

セックス、交接、契り、情交、まぐわい(目合い)など、性交の異称はたくさんあります。男性器や女性器の異称がおおいと同様に。つまりそれだけひとびとの関心が高い証左だといえます。「まぐわい」というのは「古事記」にも出てくる非常にふるい表現ですが、直接的には「目をくう、くいあう」ということで、おたがいの目を見つめることで こころを通わせる、それが高じて性交につながる、ということから発展した言い回しです。

まず、性交の(生物学的な)目的は、子孫を繁栄させることの一語につきますが、そのためには精子を卵に受精させることが必要です。そのためには、

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つづき、あす書きます。いま4時間は寝る必要があります。


と、昨夜に書きましたが、ちょっと忙しい案件がもち上りました。なかなかまとまった時間が割けません。かたやで本テーマは 扱うエリアがけっこう広範です。なので、これも「男女差別」案件とおなじく、腰をすえて書くこととします。まえにコーヒー連載をぽつりぽつりと 章ごとのひとまとまりでアップしていったスタイルをとります。完了した段階で、一本の感想文としてアップし直します。それにふさわしい映画とともに。さあどのテーマから書こうかなあ。まあまずは、前戯について かな。


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その5 23年10月

それらしい映画「ニンフォマニアック」を観たので、前回から はなしの穂をつぐつもりで「性欲について」のおまけをサルベージしましたが、なにをどう継げばいいのか ちょっと迷っています。前ににおわせた「前戯について」から書くことが順当だと思いますが、この映画 みなさん前戯なしのセックスばかりするもので。あれで痛くないのかなあ。

(そのうちつづく)

注:「愛の渦」の投稿のとき、おもしろいコメントをいただき 熟考してそれに回答しました(結果、投稿したかたは納得されました)。その転載は省略しますが、ここであたらしいコメントをくださることを こころ待ちにします。とぼしい経験の中から、なるだけ誠意をもって回答しますよ。



(シンプルなコメントをいただきました。)
ひろゆき

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