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怒りの日のmozzerのレビュー・感想・評価

怒りの日(1943年製作の映画)
4.1
「裁かゝるジャンヌ」と同様、魔女をテーマにした映画だが、「ジャンヌ」が自分は最後まで魔女ではないという意思を持って火刑にされたのに対し、本作は自分が魔女だと認めてしまう話。しかし、主人公のアンネが本当に魔女だったのかということはあまり問題ではなく、この時代、信仰の名の元にいかに女性が虐げられ、あらぬ罪を着せられ、酷いことをされてきたか、それに対する言わばアンネの復讐であると個人的にはとらえている。

見終わってまず印象的だったのが、マーチンが帰ってきてからのアンネの変貌ぶり。それまでは初老の夫と意地悪お祖母さんとの生活でかなり精神的に抑圧され、ストレスになっていたのが容易に推測できる。そこに若くてハンサムな息子が帰ってきたら、そりゃ夢中にもなりますわな。

そこから現代的に言えば、アンネのファム・ファタールぶりが開花して、それまで我慢して抑えていたものが溢れでる位に、どんどん魅力的に描かれていく。
特に、意地悪婆さんへの反抗は、遂に言っちゃったというか思わす観ていて笑ってしまう場面でした。現代の女性なら当たり前のような言動が、中世の時代では許されないことだったんだろうなと想像できる。言い換えると、ドライヤー監督がこの頃すでに現代的な感覚を持っていたとしたら、なんて先見的な考えの持ち主だったんだろうと感心する。(多分そんなことはないと思うけど笑)

最後にアンネは自分が魔女であるかのように認めてしまうが、彼女が本当に魔女なのかは誰にもわからない。自分が本当に望んだ事が何一つ与えられず、そんな夫との関係に絶望していたところに、それらを叶えてくれそうな息子が現れたことで、夫がいなくなれば(=死んでしまえば)と思うのも普通だと思うし、自分を認めてくれる人が現れたら気持ちも大きくなって、言動も大胆になったとしてもおかしくはない。ただ、この時代の宗教的背景を考えると、そんな背徳的行為が認められるはずもなく、最後のアンネの告白は、言いたいことが言えるなら魔女でも何でもなってやる、もうあんた達の茶番には付き合ってられません!と言うがごとく、本心が吐き出された瞬間でした。その時の表情がホントに魔女というより悪女といった方があってるんじゃないかと思えた。(よく考えたら、旦那と息子も大概な奴だけど)

ドライヤー監督作をこれまで4本観て、宗教的テーマを扱っている事が多いのはよくわかった。また、三角関係を軸に話が進んでいくところは「ミカエル」に通じるところがあるし、序盤のアンネの知り合いが火刑になるまでの展開は「ジャンヌ」を連想させられた。カメラが360度回転しながら人物を一人一人写して最後メインキャラに繋げる撮影方法や、大きく目を見開きながらの演技をアップで撮る、陰影の付け方等もドライヤー作品ではよくみられる手法だと気付かされた。

観たことがない映画は事前情報は入れずに観るようにしているので、一度観ただけでは正しく理解できてないところも多いと思うけれど、本作はまだまだ見所がたくさんあるし、いろんな解釈ができると思う。それぞれが自分の思う解釈でいい。間違いなんてないし、受け取りかたは自由だと思う、それを人に押し付けない限りは。

最後にもうひとつ余談ですが、ドライヤー作品はそれとなく官能的というか、見方によってはエロを連想させるような演出、BLや三角関係などこの時代に殆んど扱われていなかった題材を取り上げていると思うのは私だけでしょうか(笑)「ミカエル」なんて、性悪女とハンサムなボンクラ、そしてボンクラへの無償の愛を貫く眼光鋭い親父の三角関係だったし。
やっぱりこの辺の感覚はドライヤー監督の先見性によるものなのかなあ。

今観ても少しも色褪せていない、素晴らしくおもしろい映画。オススメです!
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