ストレンジラヴ

若者のすべてのストレンジラヴのレビュー・感想・評価

若者のすべて(1960年製作の映画)
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「故郷を離れていなければ…仕方ない、それも運命だ」

ルキノ・ヴィスコンティの映画監督としてのキャリア前半生-ネオレアリズモの時代-の集大成とも言える作品。
第二次世界大戦後の混乱からの復興途上、貧しきイタリアにはモノクロームがよく似合う。そして"破滅"を描かせればルキノ・ヴィスコンティの右に出る者はいない。
...なのだけれど、ヴィスコンティの演出はモノクロームでは今ひとつ効果を発揮しない。カラーが普及するにつれて、ヴィスコンティはネオレアリズモから離れ、自身のルーツに近い貴族モノの作品にシフトしていくが、彼の審美眼は鮮やかな色彩を得て初めてその真骨頂を見せる。この点、モノクロームの達人・黒澤明とは好対照と言っていい。
だからこそ、3時間近い上映時間の割には、ヴィスコンティらしからぬやや単調な描き方に終始したように思えてならない。元々あまり強弱はつけず、全体的にあっさりと描いてしまうのが特徴的な監督ではあるが、特に本作はあっさり感が強かった。
物語に焦点を移すと、都会に憧れ家族を連れてミラノに引っ越してきた寡婦の母と5人の息子達の人間模様で、肝っ玉母ちゃんとマンマの前では頭が上がらない息子達という如何にもイタリアな物語が進行する。
"事なかれ"の長男
"クズ"の次男
"無力な聖人"の三男(アラン・ドロン)
"地に足つけた"四男
"幼い"五男
とにかく次男がクズofクズ。女に貢ぐ、借金はする、挙げ句の果てに…で救いようがない。
そんな次兄をどうにか救おうと心優しきアラン・ドロンが奮闘するが、その優しさに甘えて次兄はどんどんダメになる。まともな四男が尻を叩いても、既に次兄はどうしようもない状態になっていた...。
人間、身持ちを崩す原因はほぼカネか色恋。できれば無縁で乗り切りたいが、これがないと家族になれないのもまた事実。兎角に人の世は住み難い。